君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

《ライブ日記》26年ぶりにaccessのライブへ行った話 〜access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR @厚木市文化会館

10/10 (土) に開催されたaccessのツアー「access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR」へ行ってきた。
accessのライブは94年のアリーナスタイル以来、じつに26年ぶり (!!) の参戦である。
出戻ったばかりで右も左も分からないほぼ新入りの私が、当日どう感じたかを書き残しておきたいと思う。

1. ライブでテンションが上がらない病

ホールの天井から吊るされた、ミラーボールのような球体がくるくると回り、幻想的な青い光が客席で踊っていた。
中に入ったとき、私はまず「ステージが近い」と感じた。私の席は2階の、おそらくS席での最後列だ。にもかかわらずステージから近いと感じる。「ライブは常にドーム」「見えないのが普通」のK-POPライブ出身の身には、2階の40何列目でさえ「もはやアリーナ」である。これは嬉しい誤算だった。

チケットを手にしたときから、ずっとこの日を楽しみにしていた。当日は緊張でごはんが喉を通らなかった。私はK-POP時代において、こんな体験は一度もなかった。だからこんなテンションになれたことを、本当に嬉しく感じていた。このライブで私は、みんなみたいに幸せになれると信じていた。少なくとも開演前までは。

しばらくすると暗転し、ステージの袖から二人が現れた。
未来の出戻りファンのために一応断っておくと、accessは二人である。どちらかひとりがaccessを名乗っているわけではない。94年で時が止まっていた人間には、それだけで気絶しそうな状況が今まさに展開されているのである。
彼らはまるでトランプから飛び出てきたみたいな出で立ちだった。白いナイトみたいなHIRO、ルネサンス時代の貴族もびっくりの袖フリルを着こなした大ちゃん。私の知ってるaccess衣装の、どれをも凌駕するド派手さだった。

ここまではたしかに「始まった…」というドキドキがあったように記憶している。しかし本格的に一曲めが始まったときから、私の心は下降の一途を辿った。
理由は色々ある。第一に私自身が深刻な「ライブでテンションが上がらない病」を抱えている。
第二に開演直後、個人的にセンシティブな問題が持ち上がった。そのために、私の心はライブの進行とともにだんだん冷え込んでいった。

そのうち仕事のことを思い出したり、客席で揺れるペンライトの色の数を数え始めてしまった。私の心は氷のように冷たくなっていた。ああもう終わりだ、私はそう思った。
accessの26年ぶりのライブ」は私にとって、この病を克服する生涯で最後のチャンスだった。ほとんど賭けていたといっていい。
いつもこうだ、いつもいつもこうなる。私は本当に芯からのクソ野郎だ。

たしかにセンシティブな問題は発生した。しかしその問題が発生しなかったとしても、私のテンションがブチ上がっていたとは思えない。ようはこの私が、そんな些末なことで落ち込む程度の愛しか持ちえていなかったのである。その事実に気づいて、私の心は救い難く沈み込んでしまった。

そして第三の理由は、HIROの歌い方の変化である。
私は専門的な知識をまったく持っていない。だからこれは単なる直感に過ぎない。26年前と比べて、HIROの歌い方が大きく変化しているように感じた。
表現力や歌唱力は格段に進化している。だけど歌い方が昔とは違う。「良い/悪い」の二元論的な話ではなく、私は純粋な寂しさを感じてしまった。

これらいくつかの理由が複合的に重なり、私は集中力のほとんどを失っていた。前半は内容をあまり覚えていない。これはもちろん私自身の問題であり、accessのせいではない。この状態に陥る原因を後付け的に探して、歌い方がどうこうなどと持ち出しているに過ぎない。私はライブという空間でいつも、一つの例外もなくこうなってきた。言うまでもないが、これは本当にきつい。
事ここまでくると一種の精神病なのかもしれない。ライブの最中に「精神科にかかろう」と真剣に考えていたくらいには深刻な状況だった。

2. PALE BLUE RAIN

前半終了後の休憩中、私は気づいたら天井をぼんやり見上げていた。
大丈夫、K-POPの時のほうがずっとひどかった。一瞬帰ろうかと思っただけで、実際に席を立ちはしなかった (K-POPの時はあまりに辛くて帰った)。とにかく最後まで見れば、幸福感とともに思い出せる日が来るかもしれないじゃないか。

ホール内が暗転し、後半がはじまった。二人が袖から登場する。大ちゃんがグランドピアノの前にすわり、HIROが中央のマイクスタンド前に立つ。
一瞬の沈黙ののち、大ちゃんの指が鍵盤に沈んだ。

その瞬間、私は息をのんだ。心臓がギュッと強く掴まれる。全身に鳥肌が立ち、眠っていた感受性が目を覚ます。ああ、間違いない    PALE BLUE RAINだ。

私は目を閉じて歌とピアノの音に集中する。磨き上げられたHIROの歌声、歌を優しく包む大ちゃんのピアノ、ドラマティックに共鳴するストリングス。そのすべてが、どこまでも切実だった。その切実さに、私は深く感動していた。

間奏後、大サビの一瞬前、ドン、とドラムのような音がしてはっと目を開けた。大ちゃんが足で床を踏み鳴らしたのだ。
胸が激しく震え、感動が頂点に達した私の目に涙がうかんだ。心に付着した汚れのすべてが、純粋性を曇らせる埃のすべてが、感動の雨に打たれて洗い流されていく。
もう、これで十分だと私は思った。他には何もいらない、病が克服できなくてもいい。この数分間の感動は、今の私に十分すぎるほどの幸福感をもたらしてくれた。

生きているうちに、もう一度この歌を生で聞ける日がくるとは夢にも思っていなかった。
感動的で、まさに奇跡的な体験だった。

3. リミッターの解除

「PALE BLUE RAIN」で何かのリミッターが外れたのか、まるでレールが切り替わったかのように、後半は打って変わってライブを楽しめた。

前半気になっていたHIROの歌い方も、後半では気にならなくなっていた。前半と後半とでは歌い方が少し違っているようにも聞こえたけれど、それは実際にそうだったのか、私の耳が慣れたのか、心のありようが変わったゆえなのかは分からない。ただ大ちゃんの「10ヶ月ぶりにお客さんの前で歌うからか、歌い方に緊張感があって新鮮だった」といった発言からも、いつもとは何か違っていたのかもしれない (HIRO本人はピンときていない様子で「いつもより思いが込もっているのかも」という感じだったけれど)。

知らない曲も知らない曲なりに楽しめたし、昔の曲はもちろん楽しめた。当時のイントロが原曲ママ流された時はびっくりした。大ちゃんといえば、なんとなく「ライブアレンジの鬼」みたいなイメージがあったからだ。原曲のアレンジで聞けるなんてちょっと信じられなかったし、嬉しかった。

後半しばらくして大ちゃんがマスクをつけたので、これはひょっとしてHIROに接近するのではと予想していたけれど、それは数曲後に解明した。会場内のペンライトが黄色に染まる「MOONSHINE DANCE」の、大サビ前の間奏で二人が背中合わせになったのだ。
これが今できる精一杯の接近戦なのだろう。二人は背中合わせになったまま「3時」と「9時」の方向に向き、最後までそれをキープしていた。
いつかこの状況が明けて、自由なステージパフォーマンスが可能となったとき、彼らはどんなライブを見せてくれるだろう。そう思わずにはいられない、何だかもどかしくてドキドキするムーンライトプレイだった。

4. アンコール、それは2Way Love

私が感動したのはaccessのステージのみならず、ファンによるアンコールの手拍子だった。
何度もK-POPを持ち出して恐縮だが、ドームには5万を超す観客が入る。アンコールの際に、ちゃんと手を叩くファンはあまりいない。別に叩こうが叩くまいが、アンコールは予定調和であると知っているし、ファンの一部だけが手を叩いてもそれなりの音になるからだ。自分が叩かなくても何の影響もないと、ほとんどの人が考えてもしかたがない。
かつ、ツアー回数が増えるごとに手を叩くファンの割合は減っていった。それどころか、しばしば手拍子はフェードアウトしていくありさまだった。

ところが今回のaccessのライブは違った。私の見る限り、一人残らず全員が叩いている。しかもそれがアンコールがはじまるまで、途切れずに続く。私は心の中で驚嘆していた。数分経ったら、半分は手を叩くのをやめるだろうと考えていた。何ならフェードアウトするだろうと。少なくとも私が見てきたライブはそうだったからだ。一定のリズムで刻まれた、淡々としつつも熱い手拍子。私はそこに、二人に対するファンの深い愛情を見たのだった。

私の前頭葉によると、アンコールのラストは「FIND NEW WAY」だった。
あるいはラストの定番曲かもしれないけれど、彼らがそこに込めた意味を考えずにはいられない。

彼ら二人も、私たちも、これから新しい道を手探りで歩いていかなくてはならない。
そんな不安な状況にあっても、いやだからこそ、新鮮な目で世界を見る感受性を失ってはいけない。いつか状況が開けて自由になる時まで、お互いにその気持ちを忘れずに持っていよう。大丈夫、答えはいつも君の中にあるから    と、私はそんなメッセージを受け取った (私は思い込みの激しいタイプである)。

5. 変わったもの、変わらないもの

26年ぶりのライブは楽しかった。前半はどうなることかと思ったし、一度は落胆もしたけれど、後半はしっかりと楽しんだ。

遠目に見ても、HIROの立ち姿はすてきだ。スタイルは変わっていないし、昔に比べて自然かつオシャレなノリ方もすごくカッコいい。歌い方にもそのうちに慣れるだろう。
何十年経ってもHIROが変わらずカッコいいHIROでいてくれたこと、その歌声を失わないでいてくれたことに私は感銘を受けた。こんなカッコいい男に恋をするなという方が難しい (現に私はものすごく自分を抑えている)。

大ちゃんのアーティスティックな雰囲気もカッコいい。あれだけの派手な衣装と、半ズボンを着こなすキーボーディストは世界中を探しても見つけられないだろう。

25年ぶりにaccessの曲を聞いたときは、HIROのあまりの凄さに驚かされたけれど、今回のライブでは「浅倉大介」というアーティストの驚異的な進化に驚かされた。
私は彼の音楽を、94年以降ほとんど追っていない。彼のプロディースした楽曲をどこかで耳にしたことはもちろんあるけれど、意識的に追うことはしなかった。だから大ちゃんの現在が、実際のところどうなのかという点において、ある程度心配していた。
でもそんな心配はライブが進むたびにぶっ壊されていった。彼は私の想像を遥かに超える進化を遂げていた。ライブアレンジからシンセソロまで、どれをとっても「まあこんな感じ」レベルに収まっていない。いくら私がクソ野郎でも、これがどれほど凄いことかは認識できる。この変容と進化は、ほとんど狂気的でさえある (実際昔と比べてその片鱗が隠しきれていないようにさえ見受けられる)。
HIROがHIROなら、大ちゃんも大ちゃんである。やっぱりaccessはこの二人でなくては成立しない (当たり前なんだけど、人はときにその当たり前を忘れてしまう)。

私はひとっ飛びに、まるでワープしたかのように「昔から今」へやってきた。
彼らと共に今日までを歩んできたファンのようには、うまく受け取れないときもあるかもしれない。
でも大ちゃんが当たり前みたいに「シンクビート」と言ったり、昔とまったく同じ声とキュートな調子で「アクセスしてね」と言うのを見て、私はとてもキュンとしたし、勇気づけられもした。私には私なりの感動があって、過去に取り残されているわけではないのだ。

accessは変わった。だけどやっぱり変わってない。私のような「ワープ系出戻り」でさえ暖かく迎え入れてくれる愛がそこにはあった。
HIROと、大ちゃんが大好きだ。心から大好きだ。accessに戻れて、私は今とても幸せである。

こんな奴だけど、どうかファンの末席に加えてほしい。
そこで私は、たとえ遠回りしながらでも、私なりの愛を叫んでみたい。



追伸
ライブ終了からこのエントリを公開するまでの間、私は一度もTwitterを開きせんでした。
私は自分の感じたことを言葉にするのに時間がかかります。今回のような、複雑な心境の経緯のあった場合にはなおさらです。整理をつけるために、せめてこのエントリを書き終えるまではTwitterを見ないと決めました。

ライブ前に優しい言葉をかけてくださったにもかかわらず、何の反応もできずにいたことをここにお詫びいたします。




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