君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

《日記編》access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR @中野サンプラザ

2020年11月3日 (火・祝) 、中野サンプラザで開催されたaccessのライブ「access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR」へ行った。

私は25年ぶりの出戻りファンで、accessのライブは26年ぶりである。
今回は同ツアー2度目、約1ヶ月ぶりの参戦となった。

ツアー折返しとなる中野公演は掛け値なしに楽しくて、幸せな思い出となった。
以下は当日の、個人的な「日記」である。


1. So Nervous

吐きそう。
駅に向かって歩きながら、私はひとりえづいていた。

「ライブはじまって吐かないでね」
夫からふざけたメッセージが飛んでくる。
吐くか、と返信しながらも、なんだか急に心配になってきた。

そんなハプニングで汚点を残したくない。できるなら失神とか、そういうカッコいいのがいい。
ライブがはじまった瞬間「おええええ」と吐くのだけはいやだ。

吐きそう、きもちわるい、もう勘弁してくれと思う一方で、「よしよし」と喜ぶ自分もいた。
<ライブ当日、緊張のあまり心身に不調をきたす>のは昔から私の憧れだった。

K-POPファンだった当時、ライブ前にお茶する友達はみなたいてい「緊張でごはんがのどを通らない」と切なげなため息をついていた。

私はそんな状態に陥ったことがない。だから彼女たちの心身の変調を不思議に思っていた。それどころか「じゃあこれちょうだい」といって、彼女たちの残すパスタやらケーキやらをぱくぱく食べたものである。

彼女たちはそんな私をじっと見ながら「うらやましい」と切ないため息をついた。今思うにあれは、恋のため息だった。

恋か、と私は思う。しかし恋でえづきはしない気がする。じゃあこれは何だ。食あたりじゃあるまいな。

そのうえ、この憂鬱さはいったいどうしたことだろう。ナーバスが止まらない。
So Nervous So Nervous、というTMNのフレーズが頭を回る。まさにソーナーバスだ。

2. ライブレポートを書こう

中野駅に着き、北口の改札をくぐる。
Googleマップ中野サンプラザを検索する。駅から4分。案内にしたがって歩き出すとすぐに、それらしい建物が目に入る。

横断歩道で信号を待っていると、入場待ちの列が見えた。胸がどきどきしてくる。

階段をのぼり、入場待ちの列をあらためて見渡す。
この人の多さ! 世の中にはこんなにたくさんのaccessファンがいるのだ。
私は何か感動して、「あのひとが○○さんかもしれない」などと考えてはひとりでにやにやしていた。マスクをしていて良かった。

しかしここで早くも、私を悩ませる「ライブでテンションが上がらない病」が発病する。
入場の列に加わわった瞬間、心の温度が一気に下がった。
何かがあったわけではない。かつあげされたわけでもない。何の理由もなく、急に心が冷えてしまった。

今回はちょっと早かったなあ、と思う。私はとぼとぼ前の人に続いて歩き、ライブ会場に入場した。

席にすわり、まずは無事にたどり着いた感謝を先祖に伝える。
来られなかったかもしれない公演だ。それに最終日には行かれないと確定している。
きょうが、あるいは私にとって最後のaccessになるかもしれない。

だからちゃんと見届けたい。テンションが上げられなくても、ここにいたことをちゃんと覚えていたい。
テンションが上げられないなりに、やれることがあるかもしれない。

ここで1つのアイデアがうかんだ。
そうだ、レポートを書こう! ちゃんとしたライブレポート。この前みたいな日記じゃなくて。

私はいわゆるまともなライブレポートを書いたためしがない。
K-POP時代にも挑戦しようとした。でもとんでもない嘘を書き連ねなければ「楽しかった」ふうのレポートにならないと気づき、あきらめた(もはや本当にファンだったのかも疑わしい)。

全編を網羅するのは難しいし、できないだろう。だけど心の動いた瞬間なら、なんとか文章にできるかもしれない。
そうと決めたら、少し心が軽くなった。

しばらくして、前の席に女性がすわる。
顔はわからない。彼女はひとりで来たようだった。席で微動だにせず、静かに公演を待っている。
私は彼女の姿を目におさめながら、1ヶ月前の公演を思い出していた。

3. ステージがみたい

話は1ヶ月前にさかのぼる。
26年ぶりに行ったaccessの公演で、私はステージのほとんどを見ることができなかった。

当時公開した日記には詳細を書くのを避けた。記憶が新鮮なうちに公開すると、個人が特定されるおそれがある。それは私ののぞむ結果ではない。
書いたところで悲しみが減るわけでないなら、マイナス要因の開示は避けるべきと考えた。でももう時効である。

当時私の前にすわった女性は、公演中終始両腕を180度 (つまりまっすぐ) にして2本のペンライトを振っていた。
体験された方はご存知かと思うが、これをやられるとほぼ前は見えない。
これがaccessライブのスタンダードかと私はびっくりしてまわりを見渡したけれど、こんなことをしているファンはほかにひとりもいなかった。

彼女を傷つけることなく、少し腕を下げてもらうにはどうすればいいかを考えはじめた。
警備員に言ってもらおうかとも考えたけれど、事前アナウンスで「腕を上げるな」とは言わなかった。
つまりこれは私の内部で処理すべき問題であり、彼女にはなんら責められる点がないことを意味する。

わかっている。彼女だって久しぶりの公演で、泣きたいくらい嬉しいのだ。後ろの人間を遮ってやろうだなんて思っているわけじゃない。
私みたいな人間なんかよりずっと大きな愛を彼女はもっている。
25年もほったらかしにして、今さらのこのこ出戻ってきた私には、彼らのステージを見る資格なんかないのかもしれない。

そして自分が、そんな些末なことで悲しいと感じるのが恥ずかしかったし、情けなかった。
本当のファンなら、前の人がどうであろうが変わらず楽しめるはずだ。
私の愛は結局その程度だと露呈したに過ぎない。

だけどとてつもなく悲しかった。涙が出そうなくらい悲しかった。
K-POPのドーム公演だって前なんか見えない。天井席ならなおさらだ。でもクソでかいスクリーンがそれを補っていた。
何も見えないというのが、これほど悲しいとは知らなかったのである。

後半の「PALE BLUE RAIN」に救われていなければ、どうなっていたかと思う。 accessのふたりには心から感謝申し上げたい。

だけどあの日の心情を思い出すと、今でも少し胸が痛む。

* * *

私がこの中野公演でのぞむことはただひとつ。

ちゃんとステージがみたい。

目を合わせたいなんて1ミリも思わない。ピックをくれとも思わない。
ふたりのパフォーマンスがみたい。誰にさえぎられることなく、この目でちゃんと。
それさえ叶うなら、ほかは何もいらない。

目の前の背中を見るかぎり、彼女は後席をかえりみず腕を振り上げるタイプには見えなかった。
だけどそんなの見かけじゃわからない。ライブがはじまったとたん豹変するひともいる。

ライブがはじまらなければ何もわからない。

* * *

場内が暗転し、公演がスタートした。

私の第一の関心は、目の前の彼女だ。彼女はペンライトをどの位置で振るのか。私の目は彼女の腕にくぎ付けになる。

スピーカーからリズムが鳴りはじめる。彼女は両手に持ったペンライトを、胸の高さで振り始めた。
私は心のなかで大声を上げ、脳細胞の全員とハイタッチを交わす。おめでとう! ありがとう! 何かに優勝したみたいな気分だった。

私はあまりにうれしくて、目の前の彼女を思わずバックハグしたくなった。そのかわりに熱い感謝の念をおくる。ありがとう、前が、みえる……!

4. ライブがはねたら

accessのライブは楽しかった。
楽しくて、幸福で、感動して、勇気をもらう。
ライブってこういう体験ができる場所なんだと、久しぶりに思い出した。自分がまっさらに、純粋そのものの存在に戻れる場所だ。

終演後、トイレに立ち寄り出口に向かうまでに、たくさんのファンとすれ違った。
ライブの興奮を、このうちの誰かと語れる日がくるだろうかと夢想しながら、私は黙って彼女たちの横を通り過ぎる。

そのためにも、ライブでちゃんとテンションを上げられるようになりたい。
コロナ渦があけて、いつの日か本当のライブを体験できたら、その時こそ変われるかもしれない。

* * *

中野駅で電車を待ちながら、地元の駅に着いたらラーメンを食べようと決めた。
私は昔から、ライブに行った日はラーメンを食べて良いことにしている (翌日ひどいことになるからふだんは食べられない)。

私にとって「ラーメンを食べたい」は「ライブ最高だった」と同じ意味だ。先月のライブでは、とてもそんな気分になれなかった。でも今回はちがう。

ラーメンを食べたくなるくらい、まじで最高のライブ体験だった。

5. なぞのKX

汁一滴残さずラーメンを食べて家に帰りつくと、玄関にダンボールのKX5が立てかけてあった。

暗い玄関に無言で立つそれは、最初ただのゴミに見えた。だってこんな意味不明なものが玄関に置いてあるなんて、ふつう考えもしない。

それは夫が半日を費やし作成したお手製のKXだった。彼はこの出来栄えに心底満足しているようだった。私は涙がでるほど笑った。

くしくも明日は、我々のお慕い申し上げる大ちゃんの誕生日だ。そう私が告げると、彼は少し考えて「あなたと会えたのは、もしかしたら大ちゃんのおかげかもね」と言った。そうだねと私は同意する。本当にそうだ。ずっと忘れていたけど。

誕生日おめでとう大ちゃん。そしてありがとう。今の幸せがあるのは、大ちゃんがいてくれたからだよ。

* * *

それにつけてもこのダンボールKXはいったいなんだったのか。

私に対する愛か、大ちゃんに対する愛か、あるいはKXそのものに対する愛か。

このKX5が誰に対しての愛の証明なのかは、いまだになぞのままである。




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