君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

書くことは自己慰安だった

8月以降、毎日こつこつと文章を書いている。
締切りもなく、書いては直し、書いては直しするものだから、なかなか「はい終わりっ!」という区切りがつかない。でも自分の気持ちを、できるだけ正確に書こうとする行為は純粋に楽しい。時には書いたものを全部消して、いちから書き直すことになっても、自分の気持ちを正確に書けたときの喜びは大きい。

自分がどう感じて、どう考えたかは文章にしてみるまで分からない。むしろ文章にして初めて自分の気持ちに気づくということの方が多いかもしれない。
言葉にならなかった気持ちが、どうにかこうにか言葉になると安心する。

読んでくれる人がいなくても、うまく自分の考えていることや感じていることが文章の中で言えていたら、それが自分の慰めになるということをやがて発見しました。人が読む読まないは二の次で、自分の言いたいことが自分で分かれば安心する。つまり、書くことはぼくにとって自己慰安になっていたのです。

吉本隆明 『ひきこもれ ひとりの時間をもつということ』


人に伝えたいというよりも、今はとにかく自分の気持ちを正確に書きたいという欲求の方が強い。まさに自己慰安のために私は文章を書いている。

一度だけ、過去の怒りを唐突に思い出して、居ても立ってもいられず文章に起こしたことがあった。
そこにはもはや死臭さえ漂う古い怒りが込められていて、自分でも衝撃的だった。もう20年近くにもなる過去の屈辱が、いまだ生々しく残っているなんてふつうは思いもしない。
でも何日かかけてひとまず完成させると、気分が少しすっきりした。今、その古い屈辱について考えてみても、あの指が震えるような怒りは消えている。文章を書くことは、過去の怒りや悲しみを成仏させることにもつながっているのかもしれない。

そうして過去のことをふっと思い出すうち、それらをまとめて文章にしてみたいという気持ちが沸き起こってきた。
そもそもが衝動的な性格であるだけに、こんな思いつきだけでちゃんと書けるかは分からないけれど、もしも最後まで書けたら、ここに公開したいと思います。