2020年11月3日 (火・祝) 、中野サンプラザで開催されたaccessのライブ「access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR」へ行った。
accessのライブは26年ぶりである。
今回は同ツアー2度目、約1ヶ月ぶりの参戦となった。
全体的な流れは先に書いたライブレポートを参照いただくとして、ここでは個人的に印象に残った場面などを紹介したい。
なお、書いたのは1994年以降のライブを見てない系トンチキ出戻りである。ご承知おきいただきたい。
大ちゃん編
私はaccessファンである。そしてどちらかといえばHIRO派である。もうHIROなしで歩けない。
しかし双眼鏡をのぞいているあいだ、私は大ちゃんばかり追っていた。ほとんど吸いよせられるように。
ギターの背徳感
「大さまといえばKX、KXといえば大さま」という代名詞的存在のKX。
そんなKXをさしおいて、大ちゃんがギターを弾いていた。
知らぬ間にギタリストになっていたのである。
なんだろうザワザワするこの感じ。なんか背徳的な匂いがする。本妻をさしおいて別の子といちゃついてるみたいな。
率直にいってエロい。ギターもなんか、赤いし。ハニー (KX) が嫉妬しちゃうぞ。
嫉妬する、という考えがひとり歩きして、自然発生的に「KX擬人化」の妄想劇場がはじまった (※ライブ中である)。
擬人化したKXとギターが目の前に現れたら、大ちゃんはどっちを選ぶんだろう。
だってKXはどう考えても自分が本妻だと思ってる。それにキレたら黙るタイプだ。こういう、感情をおしころすタイプがいちばんあぶない。
そこへ昔の彼女 (SY99) がやってきて修羅場になったら、いったいどうやって場をおさめるんだろう。
アホなことを考えているうちにさっさと次の曲へいってしまい、いろいろと見逃した。
ライブ中、よけいなことを考えるものではない。
KX「10分前行動」戦法
KXの時間帯では、大ちゃんの手元に注目した。
生着替えならぬ、音色の生切り替えを拝見するためである。
たいていはソロ突入前、遅くとも4~8小節前には切り替えているようだった。余裕をもった「10分前行動」戦法である。
余裕をもって切り替えているために、表情もまことに余裕である。
音色を切り替えたあと、実際に弾きだすまで大ちゃんは観客席を (ときにはにこにこと) 見渡していた。
余裕である。彼を見習って10分前行動を肝に銘じたい。
一方で、この戦法がとられない場面もあった。
『MOONSHINE DANCE』でソロを最後の最後まで弾ききったあと、余裕ゼロの状態で音色を切り替えたのである。
ラスト数小節ほどのあいだに「ガチャガチャ」と、どちらかといえば大急ぎで2個所のスイッチを押していた。余裕なんかいっこもなさそうに見えた。
「余裕しかありません」みたいなイメージをくつがえす、滑り込みセーフ的なパフォーマンス。これにはかなりぐっときてしまった。
余談だがKXのスイッチにはバネが入っているため、ちゃんと押しこまないと「半押し状態」になる。ちょっと力を入れて、ばちんと押しこむ必要がある。それゆえ「直前で切り替える」のは意外とむずかしい。もしかすると大さまだからできる技なのかもしれない。
というか一億回は演奏しただろう『MOONSHINE DANCE』で、いまだ「ギリまで弾く」こと自体、すごい。
そんな熱量を見せられると、こっちだってキュンが止まらなくなる。
崩れゆくアーティスト・イメージ
大ちゃんに対するアーティストイメージは「クール」あるいは「ポーカーフェイス」だった。
しかしグランドピアノを弾く大ちゃんの表情は、ポーカーフェイスどころかとても微細に変化していた。
弾き方によって表情をがらりと変えるピアノの音色そのもののように、大ちゃんの感情がそのままストレートに、表情にも表れていた。
少なくとも「このときはこの顔をしよう」みたいな、作戦めいたものは感じられなかった。
私はピアノにまったく詳しくない。HIROほどの知識もない。「黒くて長くて鍵盤のついた楽器」程度の認識だ。
だけど、嘘のつけない楽器なんだろうという想像はできる。自分のすべてが反映されてしまう、ごまかしのきかない楽器。
そのような楽器に対峙しながら、自分の表情なんてコントロールできるものだろうか。そもそもそのような些末なごまかしが、少しでも心をかすめるものだろうか?
大ちゃんのアーティストイメージは崩れた。もちろん良い意味で。
彼は純然たるミュージシャンで、音楽なしには息ができない種類の人間なのだ。
恍惚の表情でグランドピアノを弾く彼は神々しく、美しかった。
これが今回のライブで、もっとも心にのこった光景である。
迫力のSILVER EYE
「SILVER HEART」でロボ化した大ちゃんと双眼鏡越しに目があった。
あった、という表現はおかしい。彼は目を開けてはいたが、何も見てはいなかった。
4小節か8小節ぶん、まっすぐこちらに向けられたふたつの目をじっと見ていた。まばたきひとつしない、ぴくりとも動かない目を。
人間というより三次元的な何かに見えてくる。それにしても目の青さがすごい。それ以上に目の迫力がすごい。ちょっと怖いほどの迫力である。何か、彼の深淵の深さを一瞬だけ垣間見た気がした。
これがHIROだったら救急車が呼ばれていたかもしれない。じゃあなんで大ちゃんばっか見てたんだときかれてもわからない。なんでだろう?
HIRO編
ずるい胸元
大ちゃんの目玉にビビり倒した一方で、HIROの胸元にも大注目せざるをえなかった。
黒いシャツのボタンが3つか4つ外された彼の胸元を、私はこれでもかというほど刮目して見た。あんなに集中して男性の胸元を見つめたのは、生まれてこのかたはじめてである。
必死という点でいえば、このときほど必死になって双眼鏡をのぞいた瞬間はなかった。
倍率がもう少し高いものであれば、あるいは私の眼力にとくべつな力が備わっていたら、もしかすると何かが見えたかもしれない。
絶妙な開きぐあいの、ずるい胸元を見つめながら「あともう一声!」と祈ったのは私だけではあるまい。
何の曲をやってるのかわからなくなるくらい、見事に翻弄されてしまった。
歌い方がちがっても
10月の初日公演で、HIROの歌い方が26年前とくらべて変わっているのに気づいた。
26年前と比べて、HIROの歌い方が大きく変化しているように感じた。表現力や歌唱力は格段に進化している。だけど歌い方が昔とは違う。
26年ぶりにaccessのライブへ行った話 〜access 2020 LIMITED CONCERT SYNC-STR@厚木 - 君は世界に一人だけ
今回の公演は初日にくらべて「かたさ」のとれた歌とパフォーマンスだった。
そのためか、初日の前半に抱いた違和感のようなものを、今回はそれほど感じなかった。
ライブに対する心持ちの変化も当然あるだろう。そりゃあ前が見えると見えないじゃぜんぜん違う。
もちろん全部が全部変わってるわけじゃないし、「変わってない部分」の方が圧倒的に多い。
そのぶん、変わった部分がきわだってわかっちゃうともいえる。
HIROにかぎらず、長く活動しているボーカリストの歌い方はかわっていく。変化を受け入れるかはファン側の問題だ。
たしかに26年前とは、歌い方がちがう。でも「まあ変わる部分もあるわよね」とふつうに納得した。
あらゆる変化をさしひいても、やっぱHIROが好きだ。HIROが好きだと思う自分も好きだ。控えめにいって、こんなのって最高である。
私は彼のファンであって批評家じゃない。
「好き」は、それ以外の思考をなぎはらう最強の感情だ。
あなたの歌にはそんな力が
いろんな偶然が重なって、ここにいる。
HIROがHIROでなければ、この幸福を知らないままのたれ死んでいただろう。
25年ぶりにきいた、HIROの歌声に衝撃を受けた結果として、私はここにいる。
彼の歌声が、私をここに連れ戻した。それってまあまあな奇跡だ。「あなたの歌にはそんな力がある」と、いつかボトルメッセージにしたためて海に投げこみたい。
HIROは歌うとき、どこか幸せそうな笑みをうかべる。
歌うのが楽しくてしかたないのか、オーディエンスと空間を共有しているのが嬉しいのか、そのどちらもなのかはわからない。
でも彼の表情を見ていると、マスクの中で口角が自然と上がる。私の口角は公演中、ほぼ上がりっぱなしだった (にやにやしていただけかもしれない)。
そんな力をもったひとを好きになって、まったくもって私は幸せ者である。
access編
今だけの感動
ふたりの仲睦まじい姿には、もちろん心が温まった。
でも、私はその内容よりもむしろ「ヒロ」「大ちゃん」と呼び合う声を生できけたという思いがわりに強い。
こんなの現ファンの方におかれましては、べつになんでもないことと思う。
しかし25年の出戻り組としたらけっこうな重みだ。おお、呼び合ってる……と、そこだけでじーんとしてしまった。
私の中でaccessは、それぞれのドアを開けて出ていったままだった。
それが今や、お互いを呼びたいほうだいに呼んでいる。これはまだぜんぜん慣れない。じーん。
そのうち私も慣れて、じーんとすることもなくなる。今だけ味わえる、とくべつで新鮮な感動である。
違うけど、おなじ
こう言ったらおかしいかもしれないけど、ときどき、何十年前と「まったくおなじ」表情と感じる瞬間があった。
初期時代のファンだからといって、つとめて当時の面影をさがしてるわけじゃない。でもそんな瞬間を目にすると、なつかしくて、せつなくて、胸がしめつけられる。
埋まるはずのない年月を超えて、ただ純粋に胸が鳴る。幸せなのに、せつない。言葉にならない気持ちに揺さぶられて、双眼鏡がくもっていく。
なんでくもるんだと思ったら泣いていた。いや、ちょっと盛った。涙がにじんでいた。
見るのは2回目なのに、まだ感動するなんてな、と思う。
K-POP時代の自分に見せてやりたい。おまえだって行くとこに行けば、ちゃんと感動できるんだぞ。おまえが終わってるわけじゃないんだぞって。
ラストはさらりと
終演後「LOOK-A-HEAD」が流れるなか、ふたりは手を振りながらさっさとステージをはけていった。この潔さたるや。私はちょっとびっくりした。
K-POPのライブでは、終演後もなかなかメンバーが去らない。「ファンとの別れを惜しむあまりステージを去れない」のはお約束である。
だけどHIROと大ちゃんがあっさり帰っていく姿を見て、「おお、ミュージシャンだぜ」とちょっと震えた。
べたべたしたのより、こういう潔さが今は心地いい。
やっぱ好きだわ、access。なんつって。
* * *
私のaccessライブはおわった。最終日には行けないから、これが今ツアー最後の参戦だ。
最後かあ、さびしいなあ、最終日行きたいなあ、いじいじ。
こう考えては思わずため息をつく。
残念ではあるけれど、こんなふうに感じられて、ちょっぴり嬉しくもある。
恋のため息をつく日が、ついに私にもきちゃったんである。
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