君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

サーキット場のロリータ

秋晴れの鈴鹿サーキットに、そのひとはロリータ服であらわれた。

すごい服だなあ。まじまじと見ていたら、目があった。ロリータ服は立ち止まり、わたしをじっと見る。それから、まっすぐこちらにやってきた。
あの、すみません、ナオさんですか。
ロリータ服は、待ち合わせ相手のサトルさんだった。


サトルさんとは、ネットで知り合った。
F1を語るわたしのブログに、熱烈なコメントを残してくれたのがきっかけだった。

ほとんど恋に落ちるみたいにして、わたしたちは仲を深めた。通信手段は、2万字超えのメール。SNSのなかった時代である。

「本名と誕生日が、ぴったり同じなんだよ。すごくない? もう奇跡だよ、奇跡」
サトルさんからメールが届くたび、彼にいちいち報告した。最初は聞き流していた彼も、三ヶ月が経つころには
「そいつ、ほんとうに女なの」「女のふりしたおやじじゃないの」
といぶかった。

サトルさんとのメールのやりとりは、ほかのどんなことより楽しかった。
メールをもらった日は、一日じゅう幸せ気分でいられた。いつかサトルさんは「ナオさんの恋人に嫉妬してしまう」と書いた。有頂天になった。やっとわたしにも、親友という存在できたのだ。

これ以上は無理というくらい、べったりと蜜月のときを過ごした。10月の日本グランプリまでとても待てない。会いたい気持ちが、つのった。


こちらの服は事前にメールしておいた(フェラーリ公式のポロシャツとキャップ)けれど、サトルさんの服装は知らされていなかった。
10月初旬の鈴鹿サーキットには、F1チームのウエアを着たファンが何万とうろついている。祝祭的な雰囲気のなか、純白のロリータ服は異様に目立っていた。
サトルさんはまったく気にかけないようすで、今朝撮ってきたんですと、首から下げた一眼レフのディスプレイを見せた。そこには、F1ドライバーがホテルから「出勤」する画像がおさめられていた。

サトルさんは、F1ドライバーの追っかけだった。

ドライバーの盗撮写真を次々に披露するサトルさんは、心底幸せそうだった。わたしと会えたことには、とくに感想はないようだった。

話の流れでホテル名を訊くと、サトルさんは答えをしぶった。
苦労して手に入れた情報を、やすやすと渡すのが惜しいらしかった。


日本グランプリの二日後にサトルさんからメールをもらったとき、純粋におどろいた。二度とかかわり合いにならないだろうと思っていたから。
メールには、「会えてとてもうれしかった」といったたぐいのことが、びっしりと書かれてあった。

わけがわからなかった。「うれしかった感」なんて、ほんの一ミリだって感じ取れなかった。ドライバーの盗撮写真を見せびらかす追っかけのサトルさんと、愛情にみちみちたメールを送ってよこすサトルさんと、どちらを信じればよいのか、わからなかった。

それでも、メールのやりとりが復活するにつれ、またふらふらとサトルさんを好きになってしまった。あのときはお互い初めてだったし、サトルさんだって緊張してたんだ。都合よく解釈した。


日本グランプリから、一ヶ月。
スーパーGTの最終戦が開催される富士スピードウェイパドックに、サトルさんはまたもやロリータ服であらわれた。

「大丈夫なの、あのひと」
わたしたちの立ち話を離れた場所で見ていた彼が、いやそうな顔をして訊いた。
「なんか、聞いてたほど、すげえ仲良しってわけじゃなさそうだけど」
日本グランプリで会ったときと、同じだった。
メールでは「すごく好き」とか、熱烈な言葉を書き送ってくれるのに、実際に会ってみると、わたしがこの世界に存在していようがいまいが、どっちでもよさそうだった。それよりも、ドライバーに顔を覚えてもらうことのほうが何億倍も大事そうに見えた。
「ていうか、なんでロリータなんだよ」
「覚えてもらうためだって。外国人ドライバーにうけるみたい」
うわあ、と彼は言った。だめだわ。おれ、むり、そういうの。
「でも、この前ネットで叩かれたって、へこんでた」
いやそうな顔をしている彼の同情を買おうとして、言った。でも彼は、これっぽっちも同情しなかった。
「いや叩かれるでしょ、あんな格好してりゃ。ライブじゃないんだからさ」
それから彼は、パドックの端に目をやって、言った。やだよおれ、ナオちゃんがあんな格好してサーキットうろつくの。
しないよ。そう答えたとき、サトルさんを、心の中でちょっと軽蔑しているのに気づいて、もやもやした。

数時間後に会ったとき、サトルさんはうわのそらだった。もうすぐ始まるピットウォークに気持ちが集中しているらしかった。
ピットウォークではドライバーからサインをもらえたり、運が良ければ一緒に写真を撮ってもらえたりする。わたしもサトルさんも、ドイツ人ドライバー・フィン君のファンだった。会えるといいですね、と言いながらも、「レース前に無理させたらだめですよね」という、ひとりごとなのか牽制なのかわからない一言を、サトルさんはつぶやいていた。

日本人ドライバーにくらべて、外国人ドライバーは人気がない。圧倒的にない。だからなのか、たまに表に出てこないときがある。この日、めあてのフィン君は裏に引っこんだままだった。

いつの間にか、サトルさんはいなくなっていた。あきらめて別のピットへ行ったらしい。ひとこと言ってくれてもいいのにな、と思う自分の器の小ささに、またもやもやした。

ピットの前で、じっとフィン君を待ち続けた。恥ずかしかったし、スタッフにかげぐちを叩かれていないか不安だった。あきらめきれなかったのは、渡したいものが、あったからだ。
手に下げた紙袋の中身は、ドイツ語で書いた手紙と、特注のドイツワイン。フィン君の誕生日が、近かったのである。

スタッフに聞いてみようか。でもサトルさんの「レース前に無理させたらだめですよね」が引っかかっていた。フィン君が出てこないのは、それなりの理由があるのだ。いちファンのわがままで、イベントに引きずり出すなど、あってはならない。

場内アナウンスが、残り時間を告げる。あと5分。半べそになって、ピット内にいる女性スタッフに話しかけた。
あの、すみません、これプレゼント、なんですけど、渡していただくのって、大丈夫でしょうか。
小柄な女性スタッフはおどろいて紙袋とわたしを見、「ちょ、ちょっと確認してきますね」と裏へ行ってしまった。しばらくして、フィン君が青いレーシングスーツに袖を通しながら大股に出てきて、女性スタッフに導かれるままわたしの前に立った。
アイムソーソーリー、サングラスをかけたフィン君が、言った。もっと早く出るつもりだったんだけど、ちょっと用事があって。フィン君の言いわけに首を振り、そんなの、ぜんぜん、と日本語でごしょごしょ言った。
プレゼントを渡すと、フィン君はものすごく喜んだ。もしよかったら、サングラスを外してくれない? 手を合わせると、オッケーオッケーノープロブレムと笑ってサングラスを外してくれた。うっとりするほどきれいな青い目だった。

グリッドウォーク終了後、サトルさんとパドックですれ違った。隣を歩いていた彼が、わたしからさっと離れる。彼のあからさまな態度をとりつくろうために、フィン君に会えたことを焦って報告する。サトルさんは笑顔を浮かべた。
ほんとですか。いつ?
最後の最後、ぎりぎりで。裏で寝てたっぽいです。
スタッフに話しかけたことは、伏せた。サトルさんがピットウォーク直前につぶやいた謎の一言が、なおも引っかかっていた。
あ、それでね、写真も一緒に撮ってくれて。
ガラケーの画面を見せると、サトルさんの顔から、笑みがすっと消えた。

それ、自分からサングラス外してくれたんですか。

うん。わたしはとっさにうそをついた。
サトルさんは数秒黙り、よかったですね、と歯のすきまから押し出すように言った。

純白のスカートをひるがえしてサトルさんが行ってしまうと、彼がわたしのそばに来て言った。
ナオちゃんの友だちを悪く言いたくないけどさ。
何を言うつもりでいるのか、わかった。
もうやめなよ、つきあうの。
なんにも知らないくせにと、怒りたかった。サトルさんにどれくらい思いやりがあって、優しくて、いい子か、知らないくせに。でもわたしはいったい、サトルさんの何を知っていたんだろう。
親友という存在にあこがれて、サトルさんに親友役を押しつけて、ひとりで夢を見てただけだ。
振り返ることなくどんどん行ってしまうサトルさんの背中を見ながら、わかってるよ、と言った。
白いロリータ服がパドックの人ごみにまぎれて見えなくなるまで、そこに立っていた。

 

 

 

 

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