君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

恋は盲目、または追っかけファンのマウンティング

モモ君のうしろに、ぴったりくっついていったんです、あたし。

まるでついさっきプロポーズを受けたかのように、ミミさんはうっとりと言ったのだった。
そうなんだ。わたしはうんざりしながらつぶやいた。

ミミさんとは10年前、Twitterで知り合った。
あるK-POPグループのメンバー、モモ君 (男性・仮名) が好きという一点で、わたしたちはあっという間に仲良くなった。

ほかのファン友だちのノリと、ミミさんはすこし違っていた。

自分を過剰に卑下するツイートを真夜中にぷいと投稿する、とか。わたしが「映画を観に行きました」とつぶやいた次の瞬間に「だれと行ったんですか」とリプがとんでくる、とか。

どちらかといえばやや自己否定的。かといって自信がないわけでもなさそう。そしてなぜだかわたしのことをいたく気に入ってくれていた。すくなくともTwitter上では。

「おうちへ遊びに行きたいです」

知り合って2ヶ月が経ったころ、ミミさんからDMをもらった。
ほかのフォロワーさんがおうちへ遊びに行ってるのがうらやましくて、でもあたしなんかと思ってずっと言えなかったんですけど、お土産を持っていくのでもしよかったら、お邪魔したいです/ぜんぜんそんなの、いつでも大歓迎です!/ありがとうございます! でゎさっそく週末にうかがわせていただきます!

週末、ミミさんは部屋へやってきた。隙のない韓国風メイクに、毛先10cmが金色に染まった、日本人形そっくりの髪。それから壁紙にしみいりそうな、きつい香水の匂いをはなっていた。

3つもの手土産を差し出したミミさんは、ずいぶん疲れているように見えた。「大丈夫」と訊くと、手土産を探すのに新宿のデパートを何時間も歩き回ったこと、自宅からここへ来るのに2時間以上もかかったことを聞かされた。

おどろいて謝ると、ミミさんは「謝られても困ります。あたしが来たいって言ったんだし」と疲れた顔で言った。

ミミさんはテーブルのアイスティーに口をつけず、唐突に自分のことを話しはじめた。生まれた土地。年齢および誕生日。最寄り駅。勤め先。個人医院の受付で働いている、と聞いたとき、思わず毛先の金髪を見た。

「髪は、その、怒られたりしない?」

わたしが訊くと、ミミさんは少し笑った。アイラインとマスカラで強調された大きな目は、ほとんど笑っていなかった。

「お局みたいなひとがちくちく言ってきますけど。ちゃんとナース服の中に入れてるんだし、患者さんから見えなきゃいいでしょって感じで、適当にかわしてます」

こう見えて患者さんには人気あるんです。猫かぶるのうまいんで、あたし。
ミミさんが声を出して笑ったので、わたしも笑った。笑っていいとこなんだろうか、ここ。違う気がするけど、どうしていいかわからないから、笑う。

ひとしきり自己紹介が終わると、ミミさんは「さてと」といったふうに、韓国へ渡った話をまくしたてるようにしてしゃべりはじめた。

ミミさんは追っかけだった。それも、ほぼ毎週渡韓するというプロだった。

これが仁川で撮ったやつで、これが宿舎の前。青いカーテンがモモ君の部屋でこれ、ここのカーテン、青いの。わかります?
スマホの画面をすいすいスライドさせながら、ミミさんはいつ果てぬともしれない追っかけ話を語って聞かせた。

追っかけ専用のタクシーでモモ君をつける。

事務所、宿舎、ラーメン屋、空港、ミュージカル会場でまちぶせる。盗撮する。

車のサイドウィンドウをどんどんと叩いて隙間を開けさせ、プレゼントをねじこむ。

もみくちゃになって目的地へ向かうモモ君にさわり、バッグの中へプレゼントをこそっといれる。

Twitterのミミさんとは、もはや別人だった。

ミミさんの行為が正しいのか間違っているのか、間違っているとしたらどの程度間違っているのか、わたしにはわからなかった。

1日50万ウォンで追ってくれるタクシーがあるんですよ。
大事なメッセージが届いたのか、スマホを忙しそうに操作しながら、ミミさんは言った。
宿舎らへんに立ってたら、タクシーの運ちゃんにがんがん客引きされて。あたしも最初はどうかと思ったんですけど、まあそこは需要と供給っていうか。それにあたしが乗らなくても、結局だれかが乗るわけじゃないですか。

ミミさんの話にのるのは、かんたんではなかった。言葉のつぎ穂がない、というか、言葉の端がぼきりと折れている、感じ。コミュニケーションをとっているという手ごたえもない。いきおい、すべてにおいてひたすら受け身な、中途半端なリアクションになった。

な、なんか、すごいね。わたしが言うと、「裏アカがあるんです、あたし」と見透かしたような答え。そして追っかけヒエラルキーのトップに君臨するプロのネットワークを利用しているらしいことを、秘密めかして話すのだった。

「むかつくのは、子ども爆弾なんですよ」

窓から差し込む光が低くなっていた。照明をつけたかったけれど、腰を上げられなかった。ミミさんの話の腰を折る勇気がなかったし、部屋の暗さに気づいて「もう遅いしそろそろ」とお開きにしてくれるのではないかと期待したのである。
聞き違いかと思い、「え?」と聞き返した。

「子ども爆弾ですよ」

部屋の暗さには気にもとめず、ミミさんは言った。
こどもばくだん。わたしは口の中でくり返した。並ぶはずのないふたつの言葉を口に出してみれば逆にわけがわからず、なお聞き違いと思った。

「ラジオ局に渡り廊下があるんですけど」

唐突にラジオ局と言われ、なんのことだか一瞬わからなかった。わたしは黙って頷いた。

「番組の収録が終わると、そこに来てファンサしてくれるんです。夜遅いし疲れてるから近づいちゃいけないって暗黙のルールがあるから、遠巻きに手を振るだけなんですけど。そうやってみんなちゃんと守ってるのに、いっつも幼稚園くらいの子どもがモモ君のとこへ走ってっちゃうんですよ。無邪気なハプニングに見せかけて、親が子どもをけしかけるんです」

ほんっと汚い。だから子持ちって嫌い。いまいましげにミミさんがつぶやくのを、わたしは聞こえなかったふりをした。

「モモ君って子どもが好きじゃないですか。突撃してくる子どもがいたら、そりゃ抱き上げますよね。で、そんなことになったら親が出てくるじゃないですか、しめしめみたいな顔して。それでどうすると思います? モモ君としゃべって、子どもを抱かせたまま写真を撮るんですよ。信じられます? 夜の11時ですよ? そんな時間に小さな子どもを連れまわすとかありえなくないですか」

アイスティーは氷が溶け、水との二層になっている。これだけしゃべって、よくのどが乾かないなあ。もしかして口にあわなかったとか。ストローを用意しなかったから、気が利かないって思われているかもしれない。でも、それもどうでもいい気がした。

続きを待っていたら、話はそれでおしまいだった。ミミさんがなにに怒りを感じているのか、その話についてわたしになにを言ってほしいのか、さっぱりわからなかった。

問。モモ君をつけまわすプロ女と、彼のもとへわが子を走らせるしめしめ女と、どちらがより罪悪か答えよ。

「子どもを、だしに使っている、ってこと?」わたしはかろうじて訊いた。

「あたし、ズルは絶対許せない人なんで」

まじ爆発しろって感じ。ミミさんは、今この瞬間に出し抜かれたかのような憎しみをこめて、つぶやいた。


正味6 時間ほどしゃべりたおして、ミミさんは立ち上がった。窓の外は真っ暗だった。めちゃくちゃ楽しかったです、また来てもいいですか。もちろん、いつでも。ミミさんは憑き物が落ちたように晴れやかな、あるいは受付用の笑顔を見せて元気に帰っていった。

体の中に、よくわからない重いものがたっぷり詰まっていた。少ししか口のつけられなかったアイスティーを流しに捨て、グラスを洗い、ソファに体を投げだす。なにもしていないのに、山登りでもしたみたいに疲れていた。

ミミさんはなぜ、あんな話をえんえんと聞かせたんだろう。往復4時間以上もかけて、いったい、なんのために。

追っかけ行為を得意げに語るミミさんを見ながら、わたしはなにを考えていたんだっけ。
そう、なんの目的でミミさんがこの話をしているのか、必死に探ろうとしていたんだった。ミミさんの真意がわからず、そのために、どんな感情をもてばいいかわからなかった。

というか、意見や感想やコミュニケーションのたぐいは、そもそも求められなかった。白旗を上げ、ミミさんに全面降伏することだけを求められ、わたしはそのとおりにした。

あなたにはできないでしょう。そんな挑戦的な注釈が、言葉のはしばしにふくまれていた。
そうだ。わたしにはできない。正しい・正しくない、ではなく。


「黙って何時間も聞きつづけたの? そんなくそマウントを?」

夫は思いきり顔をしかめた。

だって、いろいろ教えようとしてくれたのかもしれないし。
わたしはぐずぐずと言う。
聞きたくなかったけど。言いかけてやめる。そんなのを認めたら、ほんとに負けな気がした。

「はあ? どう考えても100パーマウントでしょ。なんだよそいつ。言ってることも、やってることも頭おかしいよ」

変に感化されないでよ。夫は釘をさすように言った。
翌週、部屋に遊びに来たファン友だちはさらなる不快感を示した。

「そういうペン [注:韓国語でファン] がいるから、あの子たちがまともな生活を送れないんじゃん。こそこそやるとか、罪悪感持つならまだしも、自慢するってどういう神経」

でも、恋は盲目っていうし。
ミミさんをかばうようなことを言うと、友だちは気色ばんだ。

「そういう話じゃない。やっていいことと悪いことがあるでしょ。日本のペンが韓国ペンの真似してつけまわすなんて、最低中の最低じゃん。そんなのペンでもなんでもない、ただのストーカーだよ」

夫や友だちの怒りに「そうだよね」と安堵しながらも、自分が情けなかった。全面的にミミさんが悪いとだれかに認めてもらえなければ、真正面から怒ることも、傷つくこともできなかったのである。

いっぽうで、ミミさんが悪く言われるほどに、不安は高まった。ミミさんはほんとうに悪いんだろうか。わたしの都合のいいように、話を編集しているのではないか。自分を正当化し、ミミさんを悪者に仕立てようとしているのではないか。すこしもうらやましくないと、心からいえるだろうか。疑い、落ち込んだ。

ミミさんの話には、心底うんざりさせられた。盗撮写真も得意げな表情も、なにもかもが気にさわった。でもそれを認めたら、器の小ささを認めることになる。ミミさんに対していやな気持ちになるのを避けたかったのは、ほかでもない、自分のためだった。

忘れたいのに忘れられない。思い出すたびわけのわからぬ重いものが胸に上がってきて、もやもやする。ミミさんにだけでなく、自分の芯のなさやずるさを思い出して、もやもやした。


なのに、ミミさんのDMにまたオーケーしてしまった。うまい逃げ口上が見つけられなかったのである。

週末、きつい香水の匂いをまきちらし、ミミさんは再びやってきた。手ぶらで来てほしいと再三お願いしたにもかかわらず、紙袋を3つ、手にさげていた。

かの地におけるプロフェッショナルの活動報告を、可能なかぎり興味深そうなおももちで聞いた。必要と思われる場面では笑い声さえ上げた。

もしかしたら、実際はうんざりした顔になっていたかもしれない。いっこうに減らないアイスティーと、びしょびしょのコースターに目をやって、わたしはときどき小さくため息をついた。

だとしてもしょうがない。相手もわたしも、友だちになろうなんて気持ちは、これっぽっちも残っていなかったのだから。

友情を育むより、マウンティングしてでも自分の優位性を示したい、圧倒したい。そうせずにはいられないほどの執着にとらわれてしまう理不尽もふくめて恋is盲目のひとことで片付くのなら、どうあがいても報われない一方向の恋にも、それゆえの愉悦があるのだろうか。そんなことを、頭の裏側でずっと考えていた。

出国ゲートまで、モモ君のうしろにぴったりくっついていったんです、あたし。

夕方、わたしは照明をつけるために立ち上がった。間接照明を順につけ、席に戻るまで、ミミさんはひとこともしゃべらずに待っていた。ミミさんがうっとりと言ったのは、そのときだった。

筋肉質なのが服の上からでもわかりました。華奢だと思われてるけど、じつはばっちり男のからだをしてるんです。そうそう、剃り残しの髭も見ました。あたしハラハラしちゃって、だってあの子、いちおう女子キャラってことになってるのに……ていうかモモ君の女子キャラって100パー演技じゃないですか。え、そうですよ?

こっそり香水の匂いもかぎました。みんなシャネルって言ってますけど、今はディオールです。前のはちょっと無理してるなって感じだったんで、よかった変えてくれて。いまの香水、めちゃくちゃいい匂いですよ。からだの匂いと混ざって、なんだろ、官能的っていうのかな……すっごくエッチな匂いで、近くにいるだけで孕まされそうでした。じつはあたしが今つけてる香水なんですけど。

 

プロ話の在庫がつきたのか、以降ミミさんからの連絡はぷつんと途絶えた。

もしミミさんと同じ立場だったら、わたしはどうしていたんだろう。

たぶん、ほんのちょっとの違いでしかなかったと、いまもふと思い出しては、考える。