君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

メディスン日記:咳止めとドーナツ

ええかげんにせえよってくらい感想は書いたので、最後に日記を。

これで「メディスン」にまつわる話は終わりにします。これまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

ぜんそく、襲来

舞台「メディスン」。じつは初日の直前、わたくし体調を崩しまして。咳ぜんそくになっちゃったのです。

ぜんそく、ごぞんじですか。
もうね、気道が口から出てくるんじゃないかってくらいの、もんのすごい咳。咳死するかと思った、まじで。

あたいの咳なんかで、初日の舞台を台なしにするくらいなら、死んだほうがまし。
そう言いつつも、人間、強欲にできてるもんですね。行かないって選択肢は、ない。

だからお医者さまに顔を近づけて、訴えました。
「2時間です先生。2時間だけ咳を止めて」

現存する薬のなかで、もっとも強い咳止め薬を処方いただき、いざ参戦。

とはいえ、気が気じゃありません。咳の野郎がいつ襲来するかわからないし、もし襲来されたら即刻退場って決めてたから。

ひっきりなしにバッグからのど飴を取りだしては、カサコソやってました。隣の方にはさぞご迷惑だったと存じます。ごめんなさい。

そんなわけで、「お前が出るのか」ってくらい、初日はずっと緊張していました。
ラストシーンで幸福感を感じたのは、「あー最後まで観られた」っていう安堵だったのかも。

青年、ときどき少年

舞台を観られて、ほんとうによかった。でも「田中圭くんやほかの俳優さんの演技はどうだったのさ」と聞かれたら、うーん、と腕組みしてしまいます。

いや、よかったんです、もちろん。文句なしにすばらしかった。ただそのすばらしさについて、月並みな言葉しか出てこないだけで。

とくにジョンはなんというか、青年ときどき少年、みたいな。邪気のなさがジブリ作品の少年並みというか。無垢がパジャマ着て立っとる、みたいな。そんなジョン。

考えてみたら、同じ楽譜でも弾き方がぜんぜん違うように、俳優によって演技プランは変わるんですよね。他の俳優さんが演じたら、きっとぜんぜん違うジョンになっていたんだろうなと。

もしかしたら、ジョンの神経質ぶりが際立っていたかもしれないし、悲壮感が二割増しになっていたかもしれない。つぶやきがもっと重たくなってたかもしれないし、逆に、感情がもっと抑えられていたかもしれない。

もしかしたら、演出の白井さんと、圭くんとでも解釈がちょっと違ったかもしれない。

考えてみたら、解釈だけで演じたら、観客がまったく理解できないかもしれません。押しつけることなく、でも道すじは明確に。公演前のコメント「難解なものを難解なまま、うっすらと輪郭だけ客席に提示する」の意味が、ちょっとだけわかった気がしました。

何が正解かわからない中で、ジョンがあのジョンで表現されたのは、月並みだけど、やっぱり奇跡だったと思います。

ジョンが圭くんでよかった。うまく言えないけど、それだけでジョンは半分救われたんじゃないかとさえ思う。よかったねジョン。

わたしのメディス

そんなわけで、続く2、3、4回目の観劇でも強力な薬(これぞメディスン)のパワーで咳の野郎を完全制圧。無事、チケットの数だけ見届けられました。

自分で思うより、不安だったのでしょう。4回目を観終えたとき、頭がなにやらお花畑の興奮状態で、三軒茶屋じゅうをのしのし歩き回り、目についたミスドに飛びこみました。

ドーナツなんて何年も買ってなかったし、どちらかというと苦手なのに。そのときは、ハイカロリーな食べ物を求めずにはいられなかった。そういうときって、ありますよね。

ドーナツって幸せの形だな。あたし今幸せだな。これってつまりメディスンじゃない? とか言ってうきうきで食べたら、1個半で気持ち悪くなりました。

それがわたしのメディスン。咳止めとドーナツ。

 

ココナッツのが一番好きです

 

 

 

 

わたしは演劇について、ほとんど何も知りません。とくべつな興味も、ありませんでした。ライブか演劇を選べと言われたら、がぜん、ライブ派。

5月にも、行きたいライブがありました。
それを蹴って、「メディスン」のチケットをとった。

ケイタナカ氏のお芝居を、どうしても見たかったからです。

田中圭くんが出演しなければ「メディスン」は観なかったし、もしかしたら一生、難解と称される演劇を観る機会は、なかったかもしれません。

そして難しかったぶん、自分がほんの少しだけ、深くなった気がします。

圭くんが「メディスン」を選んでくれて、よかった。すばらしい舞台をありがとうございました。