君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ちょうどいいサイズの苦しみ

壁にべたべた貼ってあるイケメンの写真をありがたがっている、とこのまえ書きました。

目をそらせてくれるもの - 君は世界に一人だけ

葛藤が、なくもないのです。あら、あなたの悩みとやらはその程度のもので現実逃避可能なのねと思われる、と思うと、消え入りたくなる。

とはいえ、根がしごく簡易にできているのでしょう、はてなスターがつくと、ぱっと元気になります。承認欲求は人並み以上にありますから、いっとき安心するのです。

いっとき安心はしても、ブログを公開するたびに、やっぱりくよくよする。わたしという人間の底浅さを知られてしまうようで。

書いている間は脳みそが熱っぽくなるのか、それほどネガティブに考えません。いけないのは、公開したあと。

あ、なんか、すごいばかみたいなこと、もしかして書いちゃってない、わたし、とか、くよくよ思いめぐらせてしまう。

ブログって、たのしいだけじゃない。くよくよとセット。

たのしくて、ちょっと苦しくて、でもやっぱりたのしい、いや苦しい……みたいな。

苦しいのにたのしいって、へんだけど、『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎著)によると、わたしたちはたのしさだけでなく、苦しみも同時にもとめているようなのです。

気晴らしには苦しみや負荷が必要である。(略)退屈する人間は苦しみや負荷をもとめる。

(ここで言われる「退屈」とは、「人間がけっして振り払うことのできない“病”」のことです)

へたくそなのに、ばかにされるかもしれないのに、書く時間をちがうことにあてればもっと気楽に暮らせるのに、それでも書くのは、苦しみや負荷を潜在的にもとめているから。

だってもしブログを外注なんかしたら、たとえそれが無償だとしても、たのしくもなんともないですもん。

へたでも何でも、自分で書きたい。生きるのが上手なひとに「あたしのかわりに生きてほしい」とかぜんぜん思わないのと同じで。

「気晴らしに苦しみや負荷をもとめる」のが人間の性なら、ブログは、ちょうどいいサイズの負荷と苦しみなのかもしれません。


最初に書こうとした内容と、まったく違う話になってしまいました。「イケメンをありがたがるとしあわせになれるらしい科学的な根拠」についてはまた後日、日をあらためて。