コロナマウントという言葉を、つい最近知りました。
リモートワーカーが、非リモートワーカーに軽はずみな口をきくこと、だそうです。
マウンティングという言葉がいつから使われはじめたのか知らないけれど、そんなつもりのない内容が相手によってはマウントになりもして、むずかしいことです。
わたしはどちらかといえばにぶいたちで、たとえば相手がマウントを取ってきてもへえええ、と感心して聞きいってしまいます。
隣で聞いていた夫が「結局マウントかよ」とあとになってぶつぶつ言いだすまでただの世間話と思い込んでいた、といったことが過去に何度かありました。
それでも、あれはまごうことなきマウンティングであった、という記憶があって、先日そのひとつを書きました。
派手な記憶より、地味で、ちょっともやもやした記憶。
気を抜いていると、そんな記憶をよく思い出します。
で、たいてい気を抜いているから、思い出した記憶についてぐるぐる考えるのであります。
あれは結局、なんだったんだろう。
追っかけ女子の話も、そうして書きはじめました。
書くと頭の中が整理されます、なんて、いまさら言うのも気がひけるし、ブログを書けばそんなふうに感じるものだけれど。
もやもやしていたことも、整理されちゃうんだな。あのときわからなかったことも、いまなら少しは。そう思いました。
自信がなかった、というより、自分の感覚に敬意を払えなかったのだと思います。
頭の中にある、ほとんど空気みたいな「おもい」より、だれかの強い言葉のほうが数段上な気がして。
なんと弱い根っこであったことでしょう。
言葉にできなかったこと。言葉にできないで、身動きがとれなかったこと。
そんなもやもやを、整理というより、成仏させている感覚に近いかも。
書くって、供養でもあるんかな。そんな気がする。
自分のうすっぺらさや、なさけなさに気づかされることになるけど。