君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

1ミリも興味ないくせに

素敵と思うブログのライフスタイルを丸パクするという悪癖が、あった。10年以上前の話だ。

男女問わず「これは」と思うブログを見つけると、最初のエントリからねとねと読み、同じものを買い、なじみの店に通った。

ほんとうは「昨日、あのお店に行ってきました! エヘヘ」みたいなコメントを送りたかった、でもそんな勇気、あるわけない。

自分からコンタクトをとらないくせに、誰かがコメントを残そうものなら嫉妬した。いま思えば、精神がすこしストーカーじみていたかもしれない。

* * *

とくに影響を受けたのは、海外旅行とライフスタイルを発信する、代官山で働く男性 (当時28歳) のブログだった。

スタイリッシュに綴られる日常や旅行記には、清涼感があった。淡々とした、涼しげでオシャレな文章は、常にじとじとねとねとしているわたしに、すがすがしさと心地よさをもたらしてくれた。

数百のエントリを毎日、少しずつ大事に読んだ。
彼の訪れた旅行先、ホテル、レストランやカフェを、Googleマップに保存した。

そのうち、彼の愛用するあらゆるもの、イギリス製のスーツケース、パタゴニアのウインドブレーカー、ソニーのポータブルスピーカー、オーディオ・テクニカのイヤホンなんかを片っぱしから買いそろえた。

(古着屋で買ったというバッグも、同じものを血眼で探しまくったけれど、見つからなかった)

あこがれ尽くしたすえに、彼の訪れた国へ飛び、おすすめのホテル、レストラン、カフェをめぐる旅をした。同じスーツケースとガジェットを持って。

「あなたのおかげで良い旅ができた」と、もはや伝えずにはいられなくなっていた。帰国した翌日、いきおいでメールを書いた。

相手から、すぐに返事がきた。「自分のブログが、だれかの役に立っているとは夢にも思わなかった。とてもうれしい」

文通めいたメールを重ねていくうち、どちらもWeb制作会社に勤めていることがわかった。共通言語が増えると、一気に心の距離が縮まった。

メールの内容がくだけたものへ変化しても、彼のファンである態度は崩さなかった。実際の言葉づかいよりもはるかに丁寧に、女性らしく整えた。ほとんど「うそ」と言っていいレベルだったけれど、そんな気遣いや一歩引いた態度が、なによりも重要である気がしていた。

ほどなく、相手から「そろそろ会いましょうか」と連絡があった。まるで、最初からそうと段取りが決まっていて、すっかり機は熟したとでもいうように。

わたしはすぐ断りのメールを書いた。望みもしない役割を、突然押しつけられたような心持ちで、落ち着かなかった。

すると相手から、そんなに気構えなくていい、ちょっと会って、軽く話すだけだよ、となかば諭す返事があった。わたしの深刻な反応におどろき、とまどっているようだった。

それでも、いったん断ったにもかかわらず、重ねて「会いたい」と誘う相手の真意がわからず、困惑した。

彼の中で、わたしが美女に育っている、と思った。少なくとも「最低限、基準ラインを満たした女」と思いこんでいる。そうでなければ、だれが会おうだなんて言うだろう。

代官山あたりのカフェでわたしたちは待ち合わせる。手を上げるわたしを見て、相手は失望を隠そうともしない。

なんどもリアルに想像したのがよくなかった。実際に目の前で失望されてしまったかのように、深く傷ついた。数日おいて、はっきりと断りのメールを書いた。相手からの返事には目を通さなかった。

こうしてあっけなく、文通ごっこは終わった。



わたしがもし男性で、同世代の女性から好意的なメールを受け取ったら、素直に小躍りするだろうと思う。内容によっては、舞い上がりさえするかもしれない。メールを重ねるほどに、会いたい気持ちが募るかもしれない。

そしていつしか、相手をこちらの理想に重ねあわせるかもしれない。

だれも悪くない。こちらが自意識過剰だっただけのこと。

 

一方で、「でも」と、おもう。

会って、なにを話すの?

わたしのことなんか、ほんとうは1ミリも興味ないくせに。