君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ごはんがうまいとか、夕日がきれいだとか

図書館へ行くと、このごろ、まっすぐにある棚へ向かいます。

ある棚とは、警察・国防関係。遅ればせながら「VIVANT」にハマって以降、公安&国防関係が気になってしかたがないこの身には、胸おどる棚なのであります。

とはいえそこは町の図書館、タイトルに公安とつく本はほんのぽっちり。かといって買うほどの意欲や情熱はないので、しかたなく周辺の本を借りることになります。

周辺というのは国際問題、とくにテロ。そういえばテロの、何もわたしは知らないと、背表紙を見て気づきます。「ISIS」「イスラム国」の呼称はかろうじて「見たことがある」レベル、じゃあ具体的に説明してみろとマイクを渡されても、ひとことも出てこない。

この平和ボケ野郎が、と言われてもしかたありませんね。とはいえ、それなりに平和な、少なくともテロの脅威を肌身に感じずに生きていれば、テロよりか自分のゆううつとかばくぜんとした不安のほうが問題の根は深いわけで、文字どおり「よそごと」になるのも、しかたない。自分ごと以外の何かが入り込む余地なんてまったくないんだもの、実際の話。

そんなだったのだけど、テロの実態を知ると、ぜんぜん知らない世界がそこにはあって、余裕のなかった心に、ずどんと風穴が空いたのでした(開眼した!渡航せねば!って話じゃないですよ、念のため)。

って風穴が空いてもね、わたし本の内容をすぐさま忘れちゃうんです。むしろ特技なの? ってレベルですから、びっくりしながら一冊読み通しても全部忘れる。だから理解も、ぜんぜんしてない。

まるで理解してないけど、印象的だったのは、どんな本にも「知ることが大事」と書かれてあったこと。

本を読み、他者の文化に関心を持ち、世界に向けて自己を開き、好奇心を持つことだ。

「おとなは子どもにテロをどう伝えればよいのか」

わたしはテロに対してなにもできない。積極的に発信してこ!という意欲もない。でもせめて関心を持ち、知ろうとしなければ、ますます自分ごとばかりにかまけてしまう。

それに、本を読んでいると、とてもよそごとのように思えなくなってくる。

ある日突然テロの支配下に置かれたら、ほとんどの人は思考停止になってしまうと思う。怯えて暮らすのが当たり前になると、だんだんテロリストに気に入ってもらえるような行動をするようになって、もとの自分なんてどこにもいなくなる。反旗なんぞもってのほか、逃げだしもしないで、息をひそめて暮らすようになる。おとなしくしていれば、殺されずにすむから。

それでも、おとなしくしていれば殺されずにすむ世界に生きていても、人は幸福を感じられるんでしょうか。ごはんがうまいとか、夕日がきれいだとか、そんなことでも。

テロ系の本を読んだら、「ウチら安全だし関係ないじゃん」みたいには、とても思えなくなりました。本の内容を全部忘れても、すぐそばにそんな世界があるってことだけは、忘れられそうにありません。