君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

救われる感覚になること

本を読んでいると、ときどき救われる感覚になるときがあります。

心配ごとがあったり、むしゃくしゃしていたり、落ちこんでいたりしても、はっとするような一文と出会うと、喜ぶ気持ちが戻ってきます。

救われた感覚はひとりじめにしないで、「これは」という本は、ブログでも紹介したい。つねづねそう考えてはいるのですが、なぜでしょう、本をブログで紹介するって、やたらハードル高くて。

読書術なんかの本を読むと「アウトプット前提!」ってどこにでも書いてある。理屈はわかるし、大正解なんだろうけど、言うほど気楽じゃない。つまり本の紹介をきちんと書くだけの技術(と意欲)が、ないのですね。技術(と意欲)がないのを棚に上げて「むりにまとめるって、ほんとに自分のためになるんすかねー」とか反発してみたりして。

それに、「はっとするような一文」だって、ほかの人にしてみれば「そんな当たり前のこと」ってなるかもしれない。

書こうと思えば思うほど、自信がなくなる。で、結局、書かない。

ほんとは、さらっと書いて、ほいっと公開したい。そうしないから、ハードルがひとりでにどんどん上がる。
ようは苦手なんです。苦手なことに向きあうのがいやだから、逃げる。あかんことですね。

なので今日は、最近読んだ本のなかで、はっとして、救われた感覚になった一文をご紹介して、終わります。

本は「幸福論」(アラン著/田中裕子訳/幻冬舎)。

「ねえ、自分の手の届かないところまで見るのはやめようよ。問題の大きさと自分の非力さを比べていたら、何もできなくなってしまう」

すべては、その人がどう思考するかによります。そして、誰でも自分が望むように思考することはできません。

理由はいくらでもこじつけられます。物事には完璧などないので、非難すべき理由は必ずどこかに転がっているからです。

ドアを開けっぱなしにして幸せが転がりこんでくるのを待っていると、そのドアからは幸せではなく悲しみが入ってきます。

 

読みやすい訳で、するする読めます。どうしてこんなにつらい気持ちになるんだろう、という時に読むと、救われる心地になるかもしれません。