「第63回東京名物 神田古本まつり」へ出かけていった。
駅を出ると、世の人はこんなにも本がすきなのですか、というほどの人出。どのワゴンも盛況で、にぎやかなことでした。
本ずきの集まる催しに来ておいてなんだけど、ふだん本は買わず、図書館ですませてしまうわたしには縁のない世界というか、「しっしっ」とされている気分。催しに来た目的が本でないという時点で、なんとなく気がひけて、意味もなくこそこそしてしまう。
いくつものワゴンを素通りして、「ティーハウスタカノ」のワゴンへこそこそ向かう。去年と同じように、愛想があるんだかないんだかよくわからない店員さんに「オーダーはあっち」とおこられながら3種類の茶葉をつめてもらうと、用事はすんでしまった。
人と本まみれの通りをこそこそ歩き、ワゴンと、ワゴンを取り囲む人たちを眺める。ワゴンの中身を真剣に検分するおじさん。道ばたで、買った本をだいじそうにリュックサックにつめるおじさん(おじさんが多かった)。
ここにいる人たちはみんな、ほんとうに本がすきなんだなあ、と思う。本さえあれば、ほかになにもいらない、そんなふうな価値観なのだろか。それはそれとして、大きな本棚を部屋に持ち、その中にぎっしり本をつめこんでいる人たちは、あらゆる面で余裕があるのだなあとも思う。
わたしは本をほとんど持っていない。壁いちめんの本棚にはあこがれるけど、そんなスペースはまったくない。そのうえ飽きっぽくて、本を買ってもまず読みかえさない。
本ずきだなんて言えないのは、本ずきの、もろもろの条件から外れているから、ではなく、自分の中に知的で文学的な要素が1ミクロンもないから。本さえあればなんにもいらない、という境地には、ないから。
通りを足早に歩く。さっさか歩いていると突然、店先やワゴンの中を、のぞいてみたくなった。そこらじゅうにいる本ずきの人のように、本の背表紙を眺め、本の手ざわりをたしかめたい。そんな気持ちが一瞬、わきおこりはしたものの、結局一冊も手にとらず、電車に乗って帰った。
人ごみに疲れたのもあるけど、正直にいうと「図書館でいいや」と、すぐに思いなおしたから。
古本まつりに行って図書館でいいやとか考えるのは性根がセコすぎるし、なさけない。できれば本を買いあさる人になりたかった。店先やワゴンの前に立つ人たちは、幸せそうだった。
本ずきとはいえないけれど、来年もたぶん、行きます(紅茶を買いに)。