トイレが壊れた。
レバーを押しても引いても水が流れない。台所でくんだ水を便器にぶちこんで、ようやく流した。
これは小学生時代に、トイレそうじで覚えたわざだった。トイレは、いきおいよく水をぶちこめば自然に流れるのであります。
いちいち台所で水をくんで流すのは、めんどくさい。けど管理会社に電話するのはもっとめんどくさい。わたしは電話がきらいで、なんできらいかというとめんどくさいからで、トイレが壊れて10日後に帰ってきた夫があきれて管理会社に電話するまで、わたしは毎日水をくんで、だまって流しつづけた。
手動で流しつづけるうち、だんだんとゲーム感覚になってきた。一発で流せたら、勝ち。流せなければ、負け。一発ですっきり「ずごごご」と流れるのを見るのは、気分がよかった。3日もやればすっかり慣れて、百発百中の達人となった。
トイレが壊れて2週間後に、修理のおじさんがやってきた。おじさんがトイレを直すのを、わたしはじいっと見ていた。おじさんが、終わったら呼びますので、と言ったのを、「見して」とせがんだのだった。おじさんはちょっとやりにくそうだったけど、気づかないふりをした。
見逃すわけにはいかない。ふつうの人には直せないものを直す技術を持った人が、当たり前みたいな顔で直してしまうのを目撃するのが好きだから。「おお」と感心し、満足したいから。好奇心ではなく、満足感に飢えているのだと思う。
おじさんは腰を微妙な角度に曲げた前傾姿勢のまま、修理をおこなう。「腰、痛くないですか」聞いてみると、トイレというのはこのように中途半端な高さに設置されているものであるから、やはり負担は大きいという。
ふだん痛みはないのかとさらに聞くと、「まあ、あちこち、きてますねえ」と笑ってぼかされた。痛くないわけがない。それでもこの仕事を続けるんだ、と思った。
トイレはあっさり直った。「どのくらい壊れていたんですか」とおじさんに聞かれ、2週間と答えると、びっくりして聞き返された。ふつうは壊れたら、すぐに修理を呼ぶものらしい。わたしは得意になって小学生時代のトイレそうじの話をしようとしたけれど、おじさんはあっという間に片づけて、さっさと出て行ってしまった。自慢しそびれたので、ブログに書こうと決めた。
さっそく新品のレバーを回して、わたしはおののいた。
こ、こんなものすごい量の水が使われていたなんて。こんなに必要ないのに。1.5リットルもあれば、じゅうぶん流れるのに。
水がもったいないと感じたのも、最初の2、3日だった。トイレが壊れているあいだゲーム感覚で水を流していたのも、忘れてしまった。