君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

貧乏性メモ、4年め。

あ、と思った日常のことごとをメモを書きつける、という習慣にあこがれて、4年前からノートに書きつけはじめました。

はじめたころは、この取り組みによって自分の何かが成長し、何かに結びついてよりよい何かが起こるんじゃないかと期待していたと思います。当然なんにも一つも変わりはしなかったけど。

適当すぎたのが、いけなかったのでしょうか。最初こそやたらにはりきって「一日一つ、かならず書くのだ」と取り組んでいたけれど、そのうちペースも内容も適当になりました。

何日も書かないかと思えば、一度に何ページでも書き、内容は雑多でまとまりがない。

ラジオやテレビで見聞きした雑学やら、モータスポーツの豆知識やらの収集だったのが、ネタに困ると夫を「アレクサ」と呼びつけ、アレクサを夫の名前で呼んだことまで書きつけるようになりました。

新品のぴっちり具合と、一年を共にしたボロ具合の差が気持ちいい

あ、と思って書きつけたこれらのメモが、何かの役に立ったことはありません。たまにぱらぱら見返して「へえ」と思うくらいで、すぐに忘れる。ブログのネタに使ったこともない(そんなの使わなくても書くネタは無限にあるんですってことじゃなくて単にめんどくさいだけ)。むだと言えば、ものすごくむだな取り組みだと思います。

むだなのに、それでもやめようと思わないのは、たぶん、もったいないから。
せっかく習慣になったから、っていうもったいなさじゃなくて、捨て置くのがもったいないのです。

あ、と思うのは一瞬で、5分後にはあっさり忘れちゃうようなちっさいことを、捨て置くのがもったいない。根っからの貧乏性だから、床に落ちてホコリのついた米粒を食うような女だから、ちっさいことほどもったいなく感じるのかもしれません。

もしくは単に、書きつけたノートが一冊また一冊と増えていくのが、気分いいからかもしれません。白米に玄米まぜて炊くみたいな、すごくナイスなことをしている気分にひたれるからかも。

ナイスなことしてるねって褒められたいわけじゃないけど、でも自分で選んで取り組んでることまでバカにしてたら、しぼんでしまう。ひとりでこっそり気分よくなるくらいでないと、生きてけない。たぶん。

時おり並べて気分よくなるために、今後もせっせと書きつけてゆこうと思います。