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感じたことと考えたこと

何かが台なしになる | ゴッホと静物画―伝統から革新へ@SOMPO美術館

今日こそと思いたち、「ゴッホ静物画」展へ行った。

ゴッホと静物画―伝統から革新へ|Van Gogh and Still Life: From Tradition to Innovation|2023.10.17-2024.1.21|SOMPO美術館

ゴッホは好きなので、ゴッホがくれば何はなくとも足を運ぶ。日本人はゴッホが好き、とよく言われるけど、はい、ゴッホが好きなだけの、何回聞いても「印象派」の意味がよくわからない日本人です(ゴッホはポスト印象派だって、もっとわからない)。

みんな同じだと思うけど、美術展へは、ほんとうは平日に行きたい。静かな館内で物思いにふけりながら、わかったふうな顔をして絵を眺めたい。休日の美術展はうんざりするくらい人でごった返す。新宿のSOMPO美術館も、それはもうすごかったです。

すごかったので、入口に立った時点であきらめた。あきらめるというのは、全体をしっかり見るのを放棄するということで、人々のうしろからさーと見て、真打ちだけをじっと見て帰る戦法のこと。

すべての絵をしっかり見たい気持ちは、とてもある。根っからの貧乏性だから、もとを取らないと気がすまない。だけどすべての絵を、まじめに並んで見ていたら日付が変わってしまう。涙をのんで、さーと見ていく。

さーと見ていると、じっくり見ている人たちがうらやましくなる。だんだん、自分がどうしようもないヤツみたいに思えてくる。ああもったいない、コスパ悪い(貧乏性なので)。

じっくり見るだけでも大変なのに、しまいには展示リストの紙になにごとかを書きこむ人までいて、びっくりした。何を書いているのかが気になって、わたしには想像もつかない本気さと熱心さにおののいて、絵どころではなくなってしまった。いったいなにを書いてたんだろう。

そして3部構成の最後、「革新」のフロアに、それはあった。ゴッホの代名詞ともいうべき「ひまわり」。目にちらっと入った瞬間、あっ、と思った。絵からパアアアアと光が放たれているかのような、圧倒的な存在感。ほかの絵には目もくれず、わたしはふらふらとそちらに吸いよせられていった。

もしかしたら、ゴッホという名前や、「ひまわり」はすごい絵なんですよという前評判や、真打ち感を演出する額縁や照明の力なんかが働いていたかもしれない。いや、そんなものなくたって、この「ひまわり」のパワーは隠しようがない。わたしのような非文化人でも、息をのんでしまう。

「ひまわり」以外の、花やレモンや玉ねぎやの絵もすごくよかった。どれもうきうきするような絵だった。でも「ひまわり」にぜんぶ持っていかれた。真打ちというのはそういうものだ。それまでの絵すべてを、一気に前座にしてしまう。すごいと感じる一方で、おそろしくもあった。

やっぱゴッホ、好きやわ。「日本人てゴッホ好きですよねー」とか「わかりやすいもんねー」みたいな言い方をされようが何だろうが。


ところでこの美術展でなにに一番おどろいたって、撮影OKだということ。そのうち慣れたけど、でも絵を眺めている最中に背後からシャシャシャシャシャシャシャシャシャとかやられると気がそがれるっていうか、何かが台なしになるっていうか。