これは悩みというよりぐちなのですが、読んだ本の内容を、どうしてこうもきれいさっぱり忘れてしまうのか?
一読で忘れるのは当然として、忘れぬようノートにちくちく書きうつしているにもかかわらずさっぱりきれいに忘れるのはこれ、どういう了見なのでしょう。
そんなことはない、見聞きしたすべては無意識の海に沈んでおり、必要とあらば脳のなにやらという部位が最適な情報を取りだすのだ、みたいな内容をどこかで読んだ気もするけど、そんなビッグバン起きたことない。
なんらかの回路が、機能不全におちいっているのか。それともただのアホなのか。
有能にはほど遠く、今後よくなる展望もなく、どうしようほんと。
有能といえば、先日の、外資系クライアントとのミーティング。有能な人たちの会話があまりに有能爆発で、何を食べたらこれほど有能化するのやろうとすっかり感心 (放心?) してしまいました。
IT系企業の人たちはわけのわからない横文字を使うとかいうけど、まさにその世界。話し言葉というより書き言葉、難解なセリフがなめらかに語られる世界。
感心しつつも、そんなのがえんえん続くと、自分がどうしようもないアホに思えてきます。有能な人たちは、読んだ本の内容やエッセンスを忘れず、ビッグバン起きまくりの人生、だったりするのかしら。
半分放心しながら、何言ってるかほぼわからない会話の中で聞きとれたのが「ユニコーン企業」。その言葉が出てきた瞬間から、ペット用のユニコーンを飼育・販売する欧米企業を想像して議事録どころじゃなくなったのでした。
しんと考えてみると、無能とタグ付けされてもしかたないよなあと思うのです。学も才能もないし、スキルを磨く努力なんて、ほんのぽっちりだし。
無能というか、浅いんですよね。考えが浅い。うわっつらの、その場しのぎ的なことしか頭にうかばないし言えない。これはもう、一生、このままなんだと思う。
あがいたり、くよくよ思いわずらった期をすぎて、このごろは、いうてもほんまに抜けさくやもんなあ、ハンドルネーム「ぬけさく」にすればよかったとか後悔するレベルの納得期でもあって。
アホと思われたくなくてアホに見えないように気をつけてたけど、わかんないけど、もしかしたらなめられるくらいがちょうどいいのかもしれない。それに、わたしのこと「どアホ」と思う人と仲良くなったり、笑い合ったりはしないだろうし…なんて、都合がいいかなあ。
ユニコーン、ぬいぐるみみたいなイメージしかうかばない。飛ぶんでしたっけ?