根がスーパーネガティブなわたしは、なにをどうしたって物事をネガティブに考えてしまいます。
ブログを公開すれば恥ずかしくなる。
ツイートすれば後悔する。……
わざわざ恥をさらして、アホさ加減を実証して、少しでも好意的に感じてくれている人からもきらわれて、最後にはだれからも相手にされなくなる……
わたしの人生は、妄想とのたたかいの歴史でもあります。
毎日落ち込む
ブログは自分のために書いています。
自分のためのメモ。思考の整理。
そんなものがちょっとでも褒められると、つくりの悪いわたしはすぐ舞い上がって、「読んだひとの何か意味になるものを書きたい」とか言い出します。前提をころっと忘れて。
それで実際書けたらいうことないのだけど、これがぜんぜん書けない。
「書けへんやんけ」という気づきがあるだけでもマシだとかはげましてみても、それが救いになるわけもなく、ただただ落ち込むばかり。
毎日落ち込むし、へこむ。こんなくだらないごみを書くひまがあったら、もっと意味のあるほかの何かに時間を割くべきと思うのです、真剣に。
気がついたらブログを書いてる
それなのに、気がついたらまたブログを書いてる。
休みをとったら、一日じゅう書いてたりします。しかもそれが最高にくだらなくて、全削除もめずらしくない。自分で自分にびっくりします。
いつまでたっても書くのに慣れないし、うまくもならない。
そのことを思うといつも苦しくなる、けど、一晩寝たらまた書くんですよね。
諦めが悪いというより、やっぱり多少つくりが悪いのだと思います。
楽しかったから、いっか
どうして書くのか。
ただ単純に、楽しいから。
わたしはみんなが気づいてることにも気づかない、おめでたい人間です。
書くものといえば中身のない、的はずれでうすっぺらなものばかり。
それを知ってなお書きたいんだったらもう、「プロセスを楽しむ」道しかないんじゃないかと。
いや、むしろ大事なのはアウトプットじゃなく、プロセスを楽しめるかどうかではないでしょうか。
だって、書いてるときはものすごく楽しい、こんな楽しいことはほかにないと心底思うから。
この気持ちに栄養をやることが大事で、何より、そういうものが見つけられた幸せを、ときどきは噛みしめなくちゃいけないんだと思います。
意味があるとか、ないとかじゃなくて。
読み返して、たとえイケてなくても「楽しかったから、いっか」って。
そんなふうに書けたら最高じゃない? って。
悩みは尽きないしこれからだってぜったい悩むけど、最後はそう思えるようになりたい。
何のため・だれのためと悩んで手をとめるくらいなら、プロセスそのものを楽しむほうにオールインし続けたいです。