君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ささやかな幸せ・当たり前

日曜日、朝っぱらからマフィンを焼きました。

日曜日の朝にちょっと特別なものを食べると、かなりいい気分になれます。スコーンやパンケーキを作ったり、近所のおいしいパン屋さんで買ってきた食パンをぶ厚く切って焼いたり、冷凍しておいた秘蔵のベーグルをあたためたり。

そこにコーヒーをいれたら、もう完璧。自分で用意したテーブルにうっとりします。
日曜日の朝だけを毎日過ごせたらいいのに。食べるのなんて5分で終わるし(早食いなもので)。

ブルーベリーのマフィンと、コーヒー。字づらからうっとりの組み合わせはわたしの思いつきでなく、村上春樹新作のまねっこです。

読んだときから作りたくてたまらなかったから、うれしさ倍増。ちゃんとしたマフィン型がなくて、ちっさすぎるのが残念だけど。

 

そりゃあ、ホテルやカフェみたいな朝食を用意する人だって世の中にはいらっしゃると思います。だけど、わたしにはこのくらいで十分というか、満足。自分や家人がうれしい気持ちになるのが大事なのであって、他の人と比べてどう、という問題ではないから。

ちっさいマフィンをもぐもぐ食べながら、考えます。こういうのを「ささやかな幸せ」というのかしら。そんな気もするけど、わからない。抵抗感がなくもない。そんなあらたまったものでも、ない気がするし。

でも「これをささやかな幸せとする」って自分で決めないと、何もかもに「当たり前」ラベルを貼りつけて、あっという間に通りすぎてしまう気がする。

当たり前の日々が、あれは幸せな日々であったのだとわかるのはいつだって二度と戻れなくなった時。そうなりたくないって、どんなに強く誓っても、気がつけば当たり前に引き戻される。

ささやかな幸せと、当たり前。葉っぱの裏表みたいな、ひとつの事象をどうラベリングするかだけの問題なのだけど、わかってるけど、どうしてだろう、すんなりにっこりと「幸せ」って言えない。

どうしたらええんでしょう。わかんないから、ひとまず、ちゃんとしたマフィン型を買います。