君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

逃げることに決めた

ひそかに、ずっと悩んでいることがある(そうはいってみたものの、頭の中にあるのは「ひそかにずっと悩んでいること」だらけな気がする)。

ブログにしろ何にしろ、批判めいた文章を読むと、「わたしのことだ」と落ちこんでしまう。

誤解のないように書いておくと、ブックマークのコメントや、ブログを引用いただいての意見は、嬉しい。違う意見であっても、なるほどそういう考え方もあるんだ、と前向きになる。

ここでいうのは、一見「だれに対していっているのかわからない」文章のこと。

Twitterをしていた頃からそうで、「むかつく」というつぶやきにも「わ、わたしのこと?」とおろおろして、自分のツイートを点検したりした。

二年ほど前だったか、ブログにテーブルの写真をアップしたその日に「テーブルを都合よく切り取って承認欲求を満たす人の気持ちがわからない」と書かれたことがある。わたしが読むと知っていて、それでも書いたという事実にもショックを受けた。

日曜日に焼いたスコーン。お隣さんにおすそわけしました

書いた人に、傷つけるつもりはなかったと思う(思いたい)。とはいえ、人を見くだすような、冷笑的な文章を読むとショックを受けるし傷つく。繊細というより、単に自意識過剰なだけ、とはいえショックを受けるのは止められない。

それでも、あえて遠ざけはしなかった。嫌悪感を持っても、読み飛ばさなかった。心地いいタイムラインやエントリだけを選んでしまうと、視野がどんどん狭くなる気がしたから。

自分が絶対に正しい、と思いこむのは、怖い。だから、いろんな人のいろんな意見を知るべきと考えていたし、その考えは正しいはずと信じてきた。

だけど、だんだん、ほんとうにしんどくなった。

そういったしんどさや、やりきれなさはノートに書きつけて、表には出さないようにつとめてきた(なるべく)。けど、一人でぐるぐる考えても煮つまるばかりで視界が開けない。

困ったなあ、と読書ノートをぺらぺらめくっていたら、次の一文が目に入った。

嫌悪感というのは、おぞましいものを避け、それから逃げ出したいという気持ちを即時に起こさせる強力な感情である。

M・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』

そうか、と思った。心が逃げだしたがっているのに、わたしがいつまでも動かないから、自分が何もかも間違えているような気持ちになっていたんだな。

嫌悪感は「本能的な、あえて言うならば神の与えたもうた早期警報レーダーシステムのようなもの」。嫌悪感を持ったら、逃げださなきゃいけない。そうでないと、自分が何を考えているのか、どうしたいと思っているのか、わからなくなる。現に、わたしはそれらを見失っていた。

思えばずっとそうだった。相手がいつでも正しくて、自分や自分の考えに価値はないと思いこんだ。自信がないとか、そんなのは当たり前として、レーダーが反応したのにそれを無視し続けたのが原因だった。

人の意見に耳をかたむけることと、自分なりの、ささやかな意見を胸のうちに見出しておくことは、両立できる。だけど今すぐに、というわけにはいかないから、逃げることに決めた。

何をしても何を書いても減点しかできない性質が、この先なくなりはしないから、せめて逃げます(しにぎわに、「自分のことより、もっと人の意見を聞いておけばよかった」なんて思うわけないし)。そんなのより、ほんとのところ自分がどうしたいのか、まずもって知らんといかんですもんね。