いまのいま、やりたいことが、なんにも思いつかない。
そんなのは生きていれば何度だって、というかぱっと思いつくほうがまれだけれども、とはいえぼーとするのはもったいないので、ぼー以外をむりくりやる、休日はだいたいそう。
だからソファにすわって、冷蔵庫と天井の空間あたりを、ぼーとみる以外なにもしないというのは、めずらしいことなのでした。
なにかを見たい・聞きたい・読みたい・書きたい。これっぽっちも、そんなふうな気持ちになれない。食欲もない。のどはかわいたけど、そう気づけばものすごくかわいてるけど、動くのがめんどくさい。
あ、これ、ぬけがらってやつ、もしかして。
この状態に名前がついたら、ちょっと安心したりして。なんだぬけがらか。じゃあしょうがないか。ひきつづき、天井のあたりをぼーとみる。
ところが五分もたたぬうち、そわそわと落ち着かない気持ち。
でも、ほんとに?
わたしはほんとうにぬけがらなんだろうか。
ぬけがらなふりをして、かわいそうぶって、らくをしているだけなんじゃないか。
もしかしたら、自分をあまやかすチャンスとか、ひそかに考えているかもしれない。
どっちなんだろう。自分のことなのに、「これ」がどういった状態なのか、はっきりとわからない。
もし友だちがぬけがらっぽくなっていたら、「なんもせんでいいからとにかく休みなはれ」と言うはず、なのに自分には同じように言えない。
自分にきびしいとか、そんなかっこいいことじゃなくて、考え方のくせや、習慣で。
いまのわたしは、自分をあまやかしてるんだろうか。それとも大切にしているんだろうか。
あまやかすと大切にする、の違いはなんだろう。
ぬけがらと、ぬけがらぶってる、の違いは。
わからないけど、字面ほどには、明確ではないような。わたしの考えがたりないのかな。考えならいつだってたりない。言葉ってむつかしい。
さつまいもをたくさんふかして、そればかりをもぐもぐたべて、ぼんやりして、寝ました。