今年に入って、Twitterから離れました。
前もって計画していたわけではありません。
年が明けて、3日4日と経つうち「そろそろなにかつぶやかないと」と思ったら何か気が重くなって、ログインしないままずるずる……。
いろいろ思うところもあったから、これを機にしばらく離れてみることにしました。
優先順位が変わった
Twitterは1日20分までと決めていたので、やめたくてもやめられない、といった悩みとは無縁でした。
それでも、この20分が惜しく感じるようになって。たかが20分で? と思うかもしれませんが、1年で121時間です。ヤバないすか?
優先順位を明確にしてそれを守らないと、あっちゅう間に老後です。
自分にいちばん大事なことは何かを考えた結果、Twitterではないという結論に。
Twitterのかわりに、いまはインプットもしくはブログの下書きに時間を割いています。
ツイート内容に気をつかう
Twitterアカウントは「accessファンとしてのわたし」が主軸となっています (いちおう)。
とはいえ、つぶやくのはたんなる日常。それだけならまだしも、ブログを書くたびに「更新しましたツイート」を流すという、ほぼノイズみたいなアカウントでした。
自分がノイズだって自覚があるからしんどくて。accessかんけいないじゃんみたいな。知らねえよみたいな。頭の中に痛烈なツッコミが生まれるんです。
悩んだすえに「更新しましたツイート」を一時やめてみたら、もう、なんのためにTwitterやってんのか、少しずつわかんなくなっていきました。
成分比率が変わった
もうひとつの大きな理由は、わたしを構成する成分比率の変化です。
「ファンであるわたし」と「ブログを書くわたし」の比率差が、ちょっとくらべものにならないほどになって。
あたりまえだけど、成分比率はひとそれぞれ。そうわかっていても、くらべないわけにはいかないんですよね、Twitterって。自己嫌悪におちいらないでいるほうがむずかしい。
タイムラインの熱量と自分との差分が、埋められないくらいに大きくなると、Twitterを眺めるのがしんどく感じるようになりました。
また会える日まで
《SNSは個人の自由なんだから、気にしないでマイペースにやればいい》。
できるだけ気にせずマイペースに付き合ってきたつもりだけど、やっぱね、考えるし、悩むんです。いまだに。
しかもこの悩み、じつはものすごく不毛なんですよね。ただの妄想だから。
「他人を気にせずマイペースで楽しむ」って、それなりにたいへんな精神活動だと思います。だれにでもやれることじゃない。少なくともいまのわたしには無理と判断しました。
そんなわけで、しばらくTwitterから離れます。
ふっと消えたり、ふらっと戻ったり、そういうのが平気になれたら、SNSも楽しいかもしれないですね。部族の一員かどうかって判断軸じゃなくて。