転職は、希望退職日の2ヶ月以上前に決まっていました。
なのに、上司にはなかなか伝えられませんでした。
なぜなら弊社は伝統的に、退職の意向を伝えたとたん、冷遇されるから。
辞める理由さえ聞かれず、さっさと出ていけといわれる。有給消化もさせてもらえない……。
じじつ、退職の意向を伝えた翌週に辞めらせられた、という実例を聞いたばかりでした。
きっと合法じゃないだろうけど、会社と戦うつもりは、最初からありませんでした。
退職の意向を伝える
「今日も言えなかった……」をくり返すこと、一ヶ月。
これ以上は引きのばせないポイント・退職日の一ヶ月前になるまで、なんのアクションも起こせませんでした。
勇気をかきあつめて「話がある」とSlackで上司に伝えると、5秒後に先方から電話が。
「そうですか」わたしの退職意向を聞いた上司は、あっさりとそう言いました。「きょう、社長にも伝えておきます」
知ってはいたけど、マジだった。辞める理由なんか、聞かれないんだ。
十なん年も勤めたのに、そんなもんかと思いました。
社長からの言葉
翌夕、上司から電話がかかってきました。
「社長の言葉を、そのまま伝えます」
明日辞めろと言われる。そう覚悟しました。
わたしのような人間を十なん年も雇い続けてくれた、それだけでもありがたかったじゃないかと、心の前にクッションをいくつも用意しながら。
「会社にできることはないか聞いてくれ、とのことです」
相手がなにを言っているのか、すぐには理解できませんでした。
わたしが黙っていると、上司は言葉を変えてくり返しました。
「タチバナさんがなにか問題を抱えているなら、それを会社で解決できないかと、そうおっしゃっています」
まったく想像もしないことが起こると、頭の回転にブレーキがかかります。
そのかわりに他の感覚は鋭くなって、電話越しの上司の息づかいや、自分の心臓の音、外で鳴っている救急車のサイレンなんかが、妙にクリアに聞こえました。
これまでずっと、自分は不要な人間だと思っていました。
社長にも、上層部にも、ほかの社員にも、「あんなやつ、さっさと辞めればいいのに」と思われている。ずっと、そう考えてきました。
できるだけ存在感を消して、息をつめるように働いてきた、十なん年。
なにかを口に出したら泣いちゃいそうでした。でも黙ってるわけにもいかなくて、すみません、と言いました。
すみません。そんな、もったいない言葉……。
そう言ったあとは、もうだめでした。涙がとまらなくなっちゃったのでした。
十なん年の勘違い
これまでの悩みを打ち明けると、上司はおどろいたように言いました。「なに言ってるんですか。だれもそんなこと思ってないですよ……」
橘さんがいるから、うちの部署はどうにか回っている。社長もそう言っている。橘さんにまかせておけば安心だと。
「この前だって、○○の案件を丸投げできたのはタチバナさんだからです。僕も、みんなも助かってるんですよ。社内のだれに聞いたって、みんな同じことを言うはずです」
ああもう、と思いました。
こんなことなら、最初から相談しておけばよかった。
ひとりで勝手に妄想して、毎日落ち込んで。なにやってたんだろう。
この十なん年、ずっと、ずーーーーっと勘違いしてた。
ばっかだなぁ。そう思いました。
「ひとこと」の大切さを痛感しました。退職というカードを切ったあとで。
手探りで進むしかない
正直、悩みました。引きとめられるなんて想像もしてなかったから。
だけどこのまま、いまの会社に残る選択はないのもわかっていました。
なぜなら、この先「いつか」、切実に転職を望むから。
「いつか」動くなら、できるだけ早くに動いたほうがいいから。
そうして、理詰めで「決断した」「腹をくくった」つもりの一方で、なにかに押し出されるようにして物事をきめているような、ふわふわした感覚が、常にありました。
どんなに悩んでも、決断しても、絶対の正解なんてわかりません。
振り返ったあとで、「あの決断でよかった」と自分に言い聞かせるしか、ないのかもしれません。
こちらの希望 (退職日および有給消化) は、あっさり承諾していただけました。
いったいなにに怖がっていたんだろう?
人生の転機さえ、手探り。心の寄る辺のなさに、ため息をついたり、ぼうぜんとしたり。
この歳になってもまだ。