君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

地上2メートルの低空飛行

「バイクの免許を持ってる」
ただそう自慢したいためだけに、十数年前、二輪免許をとった。

バイクの免許をとる、と人に話すと、まずもって理由を聞かれ、そのたびに「モテたいから」と答えた。

わたしは非力で、体もちいさい。そんなのがバイクの免許をとったら、確実にギャップとなる。そして女の子はギャップに弱い。

この完璧な作戦を打ち明けた全員から、こう言われた。
「悪いことは言わない。やめとけ」

もちろんそんなのでやめるわけない。否定的な言葉を言われるほどに反骨精神は燃え上がり、わたしは意気揚々と教習所へ乗りこんだ。

ご承知のとおり、二輪免許をとろうと思えば、横倒しにされた200kgの鉄の塊を引き起こさないことには、そもそも教習所に通えない。

でも実のところ、あんなのだれでもできる。握力20キロ以下の、ちびで非力な女でもできる。なんでかというと、教習所側がなんとしてでも引き起こさせてくれるから。

ものごとにはなんにでもコツというものがある。パンケーキをきれいに焼くのも、200kgのバイクを引き起こすのも、コツを覚えればどうにかできちゃうのだ。

教官の応援でどうにか鉄の塊を引き起こし、晴れて教習所通いが決まった。

この瞬間が、うきうき気分のピークだった。

* * *

はじめて教習車・ホンダCB400SFにまたがった日のことを、いまも強烈に覚えている。

バイクにまたがる。キーをまわす。エンジンの音と振動が、皮膚を通して内臓を震わせる。

冷たい鉄の塊が、脚のあいだで血のかよう生きものに変わる瞬間。
それはこれまでに体験したことのない、突き上げられるような感動だった。

けれどいざバイクを動かそうすると、これがもう、死ぬかと思うほど怖かった。
バイクはものすごい音がしている。右手のアクセルをちょっと開けるだけで、エンジンが大げさな音を立てて吠える。

怖い。怖くてたまらない。どうかすると、暴走して飛んでっちゃいそうだった。

業を煮やした教官が、発進を指示する。ほかの生徒はみんなコースに出ている。わたしだけがスタート地点から一歩も動けない。
やがてクラッチを握りしめていた左手が限界に達し、エンスト。バランスを失い、あっけなく転倒した。

バイクでこけるというのは、これはものすごいショックを人に与えるのであって、わたしはますます恐怖に縮み上がってしまった。

「できません」教官に泣き声で言った。「絶対無理です」

もちろん教官はそんなのに取り合わない。さっさと引き起こしてコースに出ろという。
命のかかった二輪教習に、泣きごとなど通用しないのである。

半泣きのまま、コースに出た。肩に相当力が入っていたようで、姿勢の悪さをなんども教官に指摘された。だけど、どうすれば肩の力が抜けるのかわからなかった。わけがわからないまま、また転倒した。

2時間のコマで体はぼろぼろになった。軽い気持ちで申しこんだのを、初日から後悔した。

* * *

二輪免許取得への道は、想像以上に過酷だった。
お金を出しさえすれば取れると正直ナメてたわたしは、毎回死にそうになりながらコマを消化していった。

周りを見ると全員男性で、彼らは余裕で消化しているように見えた。わたしは自分の落ちこぼれかげんに、自信を失っていった。

ある日教習を終えて、鬼教官に悩みを打ち明けたところ「橘さんは同じコマ内の生徒の中で一番上手い」と言われた。びっくりした。

「バランス感覚があって、姿勢もいい。男は何かあるとすぐに足を出す。バイクを腕でねじ伏せようとする。だから上達しないし、姿勢も悪い」

次の教習中によく見ると、なるほど、みな簡単に足をついていた。なーんだ、と思った。ほかの人が自分よりも上手く見えていたのは、たんなる思いこみだったのだ。

* * *

教習と名のつくものはなんでもこわかったけれど、だんとつで「急制動」が怖かった。

急制動とは、ストレートを40km/h以上で走り、急ブレーキで止まる練習のこと。やりたくない教習ナンバーワンだった。

おりしもその日は雪混じりの冷たい雨が降っていた。気温はぐっと冷えこんでいる。あまりの寒さに、クラッチを握る左手がうまくいうことをきいてくれない。

「怖いです」わたしはまた鬼教官に泣きごとを言った。
「何言ってる。ラッキーだと思え」と鬼は言った。「練習もなしに、路上で同じことをやるのとどっちがいい?」

冷たい雨に打たれながら、何度も何度も急制動しているうちに、怖さは薄れていった。そのうち、恐怖よりも寒さが身にしみてきた。教習というより、もはや修行だった。

でも、たしかにこれと同じことを、路上でやるほうがよっぽど怖い。
教官はつねに正しい。教習所は、路上に出る前にできるだけ過酷な体験をするべき場所なのだ。

* * *

中型の試験を一発合格したわたしは、その場で大型を申しこんだ。
「"大型" バイクの免許を持ってる」ほうが、よりインパクトあるギャップを演出できると踏んでの判断だった。

大型二輪の教習ははるかに過酷だった。
足先が届かず、縁石のないコースで停車すれば100パーセント転倒した。クラッチの重さに耐えられず、バリケードに二度突っこんだ。左手の腱鞘炎が慢性化し、注射を打ちながらクラッチを握った。

満身創痍だった。でも中型教習生の敬意のこもった視線には、しっかりと気づいていた。

彼らの視線を感じると、痛みも疲れも忘れて突然はりきっちゃってたんだから、われながらどこまでも簡単だなと思う。

中免につづき、大型も一発で合格した。

* * *

バイクの免許をとるというのはなかなかの冒険だった。
だけど路上でバイクに乗るのはそれ以上に冒険だった。

はじめて路上を走ったとき、地上2メートルで低空飛行をしている気分になった。わたしは自由だと、そう心から思った。

むしゃくしゃしたら、海ほたるまで愛車を走らせた。
バイクにまたがり、エンジンをかける、そのコンマ2秒で自分だけの世界に戻れた。わたしのことをわかってくれるのはこいつだけ、という陶酔感に慰められていた。

いいことばかりでもない。
なんどか事故に遭い、なんどか救急車で運ばれた。なんども怖い思いをした。
それでも乗り続けた。わたしを救ってくれるものが、バイク以外に見つけられなかったから。

その後、事情がいろいろと重なって、愛車は数年前に手放した。

愛車は親友であり、精神的な支柱だった。「バイク乗り」であることはアイデンティティのひとつだった。でもしかたない。この先もたぶん、もう乗ることはないと思う。

残念ながら、モテまくるという夢は叶わなかった。

でも免許証に「大自二」の印字を持つおちびさん、というギャップはいまも気に入っている。