君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

蛹になりたい | 『ぼんやりの時間』著/辰濃和男

街をぶらつく。夕焼けを眺める。虫の声を聞く。(略)
たくさんのムダな時間の集積こそが、実は、暮らしをゆたかにする潜在的な力を持っているのではないか。

『ぼんやりの時間』辰濃和男

すきま時間も見逃さない、つめこみ型の生活。

ムダを省き、ぎりぎりまで効率を上げることに心血を注ぎ、インプットだアウトプットだと目くじらを立てる。

いまの生き方では、自分の心をやせ細らせてしまう。
『ぼんやりの時間』という本を読んで、そう考えるようになりました。

必要だったのはインプットでもアウトプットでもなく、蛹 (サナギ) になる時間だったのかもしれません。

受け身のたのしみしか選べなかった

『ぼんやりの時間』を読んで、深く納得したことがひとつあります。

働くことでくたくたになっていては、たのしみは受け身のものになる。
仕事に精力を吸い取られたものは (略) 受け身のたのしみにすがることになるのだ。

『ぼんやりの時間』

むかし生き血を吸うようにしてYouTubeばかり見ていたのは、あまりにも疲れはてていて、受け身になる以外、選択肢がなかったから。

ぼんやりなんて、していられなかった。

やらなくちゃいけないことが、あとからあとから、小さな虫みたいにわいてきて……そんなときにひとは、受け身のたのしみにすがるしかなくなるのですね。

いまにして思えば、きついときほど「ひとりの静かな時間」をことさら大事にすればよかったのかもしれない。

いうほど簡単じゃないし、ひどく孤独を感じるかもしれないけど。

ムダこそが大事

暮らしの中心にあるのは、むしろ静であり、休みである。
(略) 幸せな静があるからこそ、創造的な動や働が生まれるのだ。

『ぼんやりの時間』

この一文を読んで、あるテレビ番組を思い出しました。

2020年に放映されたNHK番組『SWITCHインタビュー 達人達 佐野史郎×京極夏彦』。
この異色の対談中にも、ムダの大切さが語られていました。

印象に残っているのは、小説家・京極さんの「ムダこそが大事」という言葉。

「ムダあってこその有意義。ムダがなくて有意義だけだったら、有意義の意義はなくなるかもしれない」

ムダとか静は、ドーナツの穴のようなもの。なにもないようでいて、ほんとうは人生の核に近いものではないでしょうか。

「有るものは無くなるけど、無いものは無くならない (佐野さん)」のです。

ぼんやりの時間

今朝、コーヒーを飲みながら、遠くをぼんやり眺めてみました。

遠くを眺めたって、すごいひらめきが生まれるわけではありません。

ただ何か、そこはかとない安心感とか、いたわりの気持ち、この先何が起こっても大丈夫なんじゃないかと思えるような、静かで力強い心持ちが、うっすら芽生えるのを感じました。

もちろんそんな心持ちは、時間とともに消えていきます。食事や愛情と同じ。頃合いをみて、たえず「ぼんやりの時間」を摂取しなくては持ちえない種類の心持ちです。

ぼんやりの大切さは、自分で実際に過ごしてみなければわかりません。

ぼけっとする時間そのものも大事だけど、そんな時間を過ごすことによって、気持ちがほどけていく感覚を味わうほうが大事なように思います。

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蛹になる

『ぼんやりの時間』は引用の言葉もすばらしく、なんども胸をうたれました。

死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかった。人生とはいえないような人生を生きたくなかった。

『森の生活』ヘンリー・ソロー

女には内なる静寂が必要である。

『海からの贈りもの』アン・モロウ・リンドバーグ

ぼんやりするのは、ちょうど蛹の時期にあたると思っていい。
(略) 羽化するためには、蛹となって静かに瞑想しているような長い時期がどうしても必要である。

『山のパンセ』串田孫一

わたしたちには、蛹になる時間が必要です。

ひとりで静かに過ごしたり、ゆっくり考えたり、音楽や読書を通じて自分のなかに潜っていく、蛹の時間。

時代と逆行する考えかもしれませんが、何が自分を幸せにしてくれるかに気づくには、あるいは羽化するためには、蛹となる時間が不可欠だろうと思います。

『ぼんやりの時間』は、静かに過ごす時間がいかに尊いものであるかを教えてくれる、栄養価の高い本でした。