君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ショックを受けて、新しい自分になる

最近、ちょっとショックなことがありました。
(たいしたことじゃないです。ほんとは誰にも言いたくないレベルの、ちっこい話)

ショックを受けたとき、私は自分を肯定的に受け止められなくなります。
マイナス思考に歯止めがかからず、ずるずると沼に沈んでしまう……ずっとそんな調子でした。

そんな私が、いつもよりずっと早くにその沼から抜け出せました。

なんでか?

「ショックを受けて当たり前」と思えたからです。

沼を抜け出して、客観的な問いに切り替えられたら、ショックは気づきに変わると分かりました。

それで毎回ぜったいうまくいく、とは思わないけど、また同じようなことがあったら試してみようと思います。

またやっちゃった

先日、またもタイミングのわるいツイートをしてしまいました。

HIROの誕生日だってことも知らずに、まったく関係ない内容をツイートしちゃったのです。

翌朝タイムラインが「おめでとう」一色に染まっているのを見たとき、大変なショックを受けました。

単純に恥ずかしかったし、タイムライン全体から拒絶されたような気持ちになって、Twitterやめたい、今すぐ消えたいって思いました。

ショックを避ける方法はない

実際にそう思ったのは10分くらいで、時間が経つごとに落ち着いていきました。

以前の私だったら、自己批判が止まらず、落ち込みは長引いていたと思います。

今回それを回避できたのは「ショックを受けて当たり前」と思えたから。

出来事に対する心の反応は一瞬です。
受ける衝撃はコントロールできません。出会いがしらの交通事故みたいなもので、防ぎようがないから。

事故に遭ったら、誰でも傷つきます。ショックを受けるのは避けられない。

そんなふうに考えたら、心が少し軽くなりました。

客観的な思考に切り替える

ショックがピークをすぎて、冷静さを少し取り戻せたら、客観的な思考に切り替えてみます。

今回は以下の4つを考えました。

・そもそも何でショックを受けたのか?
・今回のことをどう受け止めるか?
・気づきは何か?
・これからどう生かしていくのか?

何でショックを受けたのか

連帯感を欠いたツイートに対する罪の意識で、自分が嫌になったから。

(Twitterをやる以上、「タイムラインの祭りに乗るのが当然」とどこかで思い込んでいた)

どう受け止めるか

「そういうこともある」。

実際のところ、間のわるいツイートだろうと、他の人はそれほど気にしていない。好意的に受け入れてくれる人もいるはず。
今の私にとって「祭りに乗る」優先度は高くない。最優先すべきは、目の前の課題に取り組むこと。

気づき

ショックを受けると、何でもかんでもネガティブに思えてしまう (「お前はもう仲間じゃない」なんて誰も思ってない)。

どう生かすか

ショックを受けたとき、「ショックを受けて当たり前」といったん受け止める。

それから自分の課題を思い出す。それ以外は「あきらめるしかない」と手放す。

ショックを受けるから、新しい自分になる

ショックを受けてしばらくは、誰でも気持ちがふさぎ込んでしまいます。

そのとき「事故に遭ったんだから、ショックを受けて当たり前」と思えたら、肩の力が少し抜けるかもしれません (自己批判はぜったいだめ!)。

肩の力が抜けたら、問題について客観的に考えてみてください。客観的にとらえられると、問題そのものに焦点があたって回復がぐっと早まります。

もちろんこのやり方ですべてがうまくいくわけじゃないし、何をどう考えてもぜんぜん無理な時もあると思います。

でもショックを受けるのは、何かの「気づき」を得るため。バージョンアップした、新しい自分になるため。

すぐにはそう思えなくても、問題から時間が経って振り返った時に、そう考えられるといいなと思います。