朝にあれこれ書く雑記ノートが日課となって、一年がたちました。
人いちばい飽きっぽいわたしがひとまず毎日続けてこられたのは、手書きノートとの組み合わせがマッチしたからだろうと思います。
一年続けてみて思ったのは、「自分にとって善き習慣が見つかると、最低限の自信とハッピーにつながる」ということ。
「なんの意味があるのか」「ほかにやるべきことがあるんじゃないか」と悩んだ時期もあったし、正直どんな意味があるかは、いまもはっきりとわかっていません。
よくわかんないけど、まあ、いい習慣なんだろうという予感めいたものがあるだけ。
とりあえずいまは、それでいいかなと思っています。
きっかけはひとりアフタヌーンティー
雑記ノートは、一年前にひとりでアフタヌーンティーに出かけたとき、ノートにものを書いたのがきっかけです。
アフタヌーンティーは2〜3時間をひとりで過ごします。せっかくだからいつもと違うことがしたいと考えて、書き物をしようと思いついたのでした。
実際に書いてみると、手書きそのものが新鮮で、キーボードをぱたぱた打つのとは違うよろこびを感じました。
人に見せるためでないものを書くのが、ことのほかたのしかった。
いつまででも時間をつぶせる一人遊びを発見した気がしました。
それから毎日、ノートにものを書くように。
ただのひまつぶしから、欠かせない習慣と化してゆきました。
最初の難関
雑記ノートは日記というより、そのとき頭に浮かんだことをただ書きだすだけの、いわば「排泄ノート」。
もちろん、とてもひとには見せられません。
書きはじめの頃は、10ページ以上書く日も。
ブログにも書けない、だれにも言えない「どろどろ」が想像以上にたまっていて、あらかた吐きだすのに時間がかかりました。
自分の思考は当然理解していると思ってたけど、実はほとんどわかってなかった。この事実に毎日おどろいていました。
最初の難関は、仕事上の問題に向き合うことでした。
落ち込みが何日か続いても、仕事の問題をノートに書くのは避けていました。
考えたくなかった。書いたら、よけいに落ち込んでしまいそうだったから。
ものの本では、怒りや悲しみを解放する最上の方法は「外在化」だといいます。
つまり、しゃべるなり書くなりして、問題を客観視せよと。
考えるだけでもしんどいのに、わざわざ書きだすなんて……。
外在化した経験のないわたしには、それはひどい苦行に思えました。
書きたくないことを書いた結果
やがて会社に行くのもつらい状況となったとき、ノートに少しずつ書きだしてみました。
ひどい苦痛を感じると思っていたのに、予想に反して、痛みはほとんど感じませんでした。
痛みどころか、ごちゃごちゃに絡まった問題の突破口が、あっさり見つかったのです。
いろいろな物事が明確になると、誰の責任だとか、些末な問題はどうでもよくなって、いますぐやるべきタスクと優先順位にフォーカスできます。
次に同じ問題が起きたとき素早く処理できるなら、問題はストレス発生源ではなく、学びの機会。冷静に、謙虚にそう感じました。ただノートに書いただけで。
これはすごい体験でした。書くだけで問題が解決するなんて、物事はそれほど単純じゃないと思ってたから。
それまで必死に「考えている」つもりだったのに、現実はひたすら「妄想」していただけと知ったときはショックでした。
物事は、そうしようと思えばいくらでも複雑にできます。
そして物事を複雑にしているのは、わたしがあみだした妄想。ノートに書きだして、ようやくそれに気づきました。
弱いだけ、へこたれてるだけじゃない
これまで、ノートの読み返しはしませんでした。なにを書いたかに興味なかったし、そんなヒマもなかったから。
そうは言っても、書きはじめて一年です。なにを書いてるかの傾向くらい、多少知っておいたほうがいいんではないかと、ここ一ヶ月のノートを見返しました。
したらもうびっくりしちゃいまして。
まず、なんにも覚えてなかった。
たしかに書いたはずなのに、まったくといっていいほど内容を覚えていなかったのです。
ノートでは、毎日自分をはげましていました。
毎日泣きごとを書いて、はげまして終わる。これだけ同じパターンで書いておいて、逆に、よく気づかなかったなと感心するほどです。
ノートのなかに思いがけない言葉や信念なんかを見つけると、ちょっと勇気づけられもしました。
わたしは決して、弱いだけ、へこたれてるだけじゃあないんだと。
わたしにとって善き習慣でも、ほかのひとにはピンとこないかもしれません。
でも、冒頭でも言ったように「自分にとって善き習慣が見つかると、最低限の自信とハッピーにつながる」とわかったから、気になりません。
習慣って、サプリみたいなものかもしれません。ベースサプリみたいなのがあって、それにオプションで追加していくイメージ。
わたしにとってのベースサプリはこの雑記ノートです。これがなくちゃはじまらない。
そんなわけで、いつか「やーめたっ」となるまでは、これからも飽きずにつらつら書いてゆきたいと思います。