君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

印象の「い」

ときどき美術展へ行く。美術展へは行くけど、美術史はてんでわからない。

図録を眺めて、へーと思って、ぜんぶ忘れる。基本的に抜けてるんだと思う。

抜け作でも絵は見たい。ゴッホの次は、モネ展へ行くことにした。

www.monet2023.jp

もちろんわたしはモネもマネもミロもわからない。印象派という言葉は知っているけど何のことだかわからない。わからないから、なんとなく怖い。

怖いが、入館料はもっと怖い。3000円。3000円もとられた上に「なーんもわからんでした」ではコスパが悪い。抜け作のうえにケチくさいので、コスパが悪いのはがまんならない。

図書館へゆき、印象派と名のつく本を何冊か借りた。読んだら、わかった。わかってみると、どうしてあんなに怖がっていたのか、わからなくなった。

 

印象派というのは、革命だった。
印象派画家たちは、それまで茶色一辺倒だった絵の世界を、ぱっとカラフルに変えてしまったのだった。

けれどもそこは革命あるある、世間様にまったく認めてもらえず、誹謗中傷の嵐。

「ヘボ絵描き集団」とこき下ろされ、それでもめげすに自分たちの信じる絵を描きつづけ、じつに8度の印象派展を開いた。しかし12年経っても評価は変わらず、ド貧乏も変わらず。

そして画家たちと長年苦楽をともにしてきた画商(計算が間違ってなければ当時60歳くらい)が300点の絵とともに海を渡り、ニューヨークで開いた印象派展でついに成功。

この成功をきっかけに、モネ、ルノワールセザンヌといった印象派画家たちの絵が認められていくのだけど、よくもまあ描きつづけたと思う、家族がいて、ド貧乏のまっただなかで、まったく売れない絵を。

印象派の画家も画商もみな中年、もしかしたら老年にさしかかる歳だった。そんな歳であがいて、諦め悪く生きられたのも、画家同士の友情があったから、なんだろか。

印象派の画家同士は仲がよかった。実家に帰ったルノワールが、ポケットにパンをつめてモネに持って帰ってやったとか、ちょっとでもお金が入ったら二人で画材店に走ったとか、ド貧乏のモネを助けようとマネがこっそりモネの絵を買うといった、胸のつまるようなエピソードがたくさん。

それとも、友情があろうとなかろうと、彼らはひとりきりでも描いたんだろか。ひとりきりで描いても、あんなきらきらしい絵に、なっただろか。

フランスにもみじはあるんだろか

 

貧乏時代の苦労話を聞くと情がうつるのか、それまで「モネ」とか「ルノワール」とかいった名前が何か記号のようだったのが、違って見えるようになった。もっと親しみのある感じ。わたしの知ってる人、という感じ。

何冊かの本を読んで、印象の「い」を知ったら、モネ展ががぜん楽しみになった。ケチくさいのも、たまには役に立つみたい。

印象派についてざっくり知りたい方は、「イラストで読む 印象派の画家たち」がおすすめ。イラスト多めで読みやすく、画家の似顔絵イラストもかわいいです。