君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング@森美術館(六本木)

「誰も考えつかないことを するのが大好き」

美術館を出たあと、『パタリロ!』の歌詞を思い出しました。

ちっぽけな常識脳が、投げ飛ばされるみたいな感覚でした。
表現というものには、限界がないのだなあ。

「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」展

www.mori.art.museum

ウェルビーイング(よく生きること)とは何か」を、インスタレーションや彫刻、絵画などの現代アートを通して考える、という主旨の美術展です。

という説明を読んでも、なんのこっちゃですね。

わけのわからない作品だらけで、それらをぜんぜん消化できないまま帰って、こうして書いているいまもまだ、ようわからん。びっくり箱みたいな美術展でした。

(本展は撮影OKでした。でもどこまでOKなのかわからなくて、撮りながらめっちゃどきどきしました)

ヴォルフガング・ライプ
《ヘーゼルナッツの花粉》

この黄色いの、なにに見えますか?

絵の具でなく、花粉なのです。アーティストが手で集めてまわった、ヘーゼルナッツの花粉。

ヘーゼルナッツの花粉は、一年かけてもほんの少ししか集められないそうです。

どうして花粉なのかは、ライプの詩が参考になります。

「……危機は大きければ大きいほど

人類に新しい未来をもたらし

どこかほかの場所へ向かい

ほかの何かを見つける手伝いをしてくれた

想像しえたものの彼方に

わたしたちは見つける

新しいありようと生き方を」

一部だけでは逆にわかりにくいですね。ごめんなさい。

コロナによって「想像しえたものの彼方」へ運ばれてしまったわたしたちを花粉にたとえるライプの詩、全文はこちらです。ちょっと読みにくいですが、ぜひ。

「花粉を集める」

ギド・ファン・デア・ウェルヴェ
《第9番 世界と一緒に回らなかった日》

北極点に24時間立ち続け、地球の自転と逆方向に回る、というインスタレーション作品。

おしっこどうするのかなって、そればっかり気になっていました。

同じアーティストによる《第 17 番 暇つぶしの試み 1 最も深い海から最も高い山まで》という作品も、ぶっとびです。

ベッドに身投げして、立ち上がって、身投げする。を、えんえん、くり返す映像。

なにをしているかというと、身投げを一回やるごとに、ベッドの高さぶん(60cm)エベレストに登ったものとして、頂上に到達するまでやり続けるのです。

なお、バスタブに溜めた水のなかを足踏みする、「マリアナ海溝版」もあります。

このあたりになると常識の毒気が抜けて、永遠に家のまわりを走り続けるという、なんの生産性のない映像(《第 13 番 3 つの逃避による感情的貧困逃避 c、「あと半日もすれば」はいつものこと》)を、じっと見続けてしまうようになります。

シュール。

小泉明郎
《グッド・マシーン バッド・マシーン》

flic.kr

約140点の展示品には、見るのがこわいような作品も何点かあります。この作品もそう。

暗い空間の中央にあるのは、脱ぎ捨てられた上着、片方だけのスニーカー、子ども用のセーター(?)。

ただあるだけでなく、上着がぎこちなく、不気味に動くのです。別の台に設置されたロボットアームも、なんの動きなんだかわからないけど、動いてる。

それからやや高めの位置に設置された、3つの大きいディスプレイ。
若い男性が真顔で「助けてください」、若い女性が「想像してはいけません」と連呼しているのです。

助けてください/想像してはいけません/助けてください/想像してはいけません/助けてください/想像してはいけません/助けてください……

大丈夫かな、これほんとに大丈夫かな、こんなの聞かされて頭おかしくなったりしないかなってそればっかり考えていました。主旨はそんなのじゃないんだけど。

説明書きを読むと、催眠術にかけられた被験者の映像、ということ。

場の異様な雰囲気と、言葉の壊れていく感じと、もういろいろぜんぶが、こわかった。

ツァイ・チャウエイ
《子宮とダイヤモンド》

巨大な鏡の上に、まるい手吹きガラスと、小さなダイアモンドが無数にのせられたこれは、子宮です。

卵子って、胎児の段階で700万個もつくられるんですよね。子宮の中にいる赤ちゃんの子宮に卵子がある、というものすごい入れ子構造を、壊れやすい鏡とガラス、硬いダイアモンドでもって表現しているわけですが、子宮という宇宙をほかの何で表現できるのかと考え込んでしまいます。

ちなみに、この子宮が展示会の最後の作品です。

きらきら光る子宮を通りすぎたあと、みんな出口から出ていく、そんな構図になっています。

 

* * *

 

視界なんて10円玉くらいだったです、わたし。

誰も考えつかないことがまだこの世界にはあって、そんな、芸術なんだか無駄なんだかよくわからない何かを本気で追及するパタリロみたいな芸術家が人類には存在していて、それが頼もしいというか、救われるというか、ありがたいというか、うれしいでした。

 

開催概要

会期 2022年6月29日(水)〜2022年11月6日(日)
会場 森美術館
時間 10:00〜22:00
(最終入場 21:30)
火曜日/10:00~17:00
(最終入場 16:30)
休館日 なし
観覧料 平日/1,800円(1,600円)
土日/2,000円(1,800円)
※()の価格は公式サイトから購入した場合

www.mori.art.museum