君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

ふとしたとき | 雑記ノートのこと

何かにつけめんどくさがるタイプの人間ですが、なぜか続いている習慣があり、それが毎朝書く雑記ノートです。

朝起きたらノートを広げて思いついたことをなんでも書きつける、ルールはそれだけ。30分から1時間ほど書いたら終わりで、読みかえすこともありません。

ものの本ふうに言うなら、自分と向き合っていると、そういうことになりましょうか。

なんとなく書きはじめて2年半が経ち、ノートは46冊目。一日も欠かしたことはなく、正月だろうが盆だろうが毎朝書きつけてきました。

書きつけて、何が変わったか。残念ながら、何も変わりませんでした。

最初のうちは書けばすっきり、「自分の考えごとをただ書きつけるだけで、こんなにも気分が軽く」とおどろいたものでした。

そんな新鮮なおどろきも、最初だけ。だんだん「なんでこんなことしよるんや」と疑いと焦りを感じるように。「この時間を使うて、もっとましなことやった方がええんと違うか」と。

はたから見れば、しっかり自分と向き合っているかのよう。だけど自分と向き合うって、いったいなんだろう。この習慣をとおして自分と向き合っているとして、それならなぜいつまでも同じことでぐるぐる悩んで落ちこむんだろう。めざましい効果があるわけでもないのに、なぜやめようとしないんだろう。

いつだって気軽にやめられるつもりでいたのに、「せっかく続けてきたんだから」という執着でやめられない。そういう習慣をもった人間であることに、いつのまにかちょっとした安心感を持つようになっていたのだと思います。

そうして考えあぐねていたところ、小さな変化が起こりました。

朝、いつものようにノートを書いていたときのことです。長年思いわずらっていた案件が、ひと晩であっさり解決した。なのに、うれしいとか、ほっとしたとか、そんな気分には決して収まらず、胸のあたりがもやもやしている。自分が腹を立てていると知ったのは、ノートにそのことを書きはじめてからでした。

ペンを持つ指先が怒りで震えてくる。筆圧は強く、字はますます汚くなる。怒りの内訳をあますところなくノートに書きつけてようやく、何に対して腹を立てているのかに気づいたのでした。

このときばかりは、このノートがあってよかったと、素直に思いました。
何のために書いてるかわからなくなるくらい無感動に書いてきたから、ネガティブな内容も抵抗なくどんどん書けた。もしこの習慣がなければ、もやもやを解消できないまま重い気分で過ごしていたと思います。

ノートがあってよかったと思えて、うれしい。たいした意味はない、かもしれなくても、続けていればふとしたとき力になる、と知れたのがうれしい。そんなわけで、もうしばらく続けてみます。効果はいまひとつでも、あって困る習慣でもないですし (やっぱり執着か?)。

愛用のインク。雑記ノートを書くときにもこのインクで。