君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

自分のことを書く=

図書館で借りた本を読んでいたら、ちょっとショックなことが書かれてあった。

自分のことを書くのは全部、自慢。そのことがわからない人は、一生わからない。

じ、自慢。
言われてみれば、たしかにそうと言えるかもしれない。だけど「わからない人は、一生わからない」なんて脅されると、どうあってもわからなきゃならない気がしてくる。わからない側にならぬよう、戒めとするためにノートに書きつけた。

この種の言葉は、あとからじわじわ効いてくる。しばらくして、落ちこんだ。

ブログに、わたしは自分のことしか書いていない。
自分以外のことなんて、誰にも読まれないスーパーGTだけ。残りはぜんぶ自分語り。考えれば考えるほど下品で、鈍感のきわみみたいに思えてくる。

自分語りに対する葛藤が生まれるたび、「ただのブログなんだし」と最後には割り切ってきた。でも「自分語りは下品である」的な文章を読むと、何度でも落ちこむ。落ちこんで、賞味期限が3か月切れた「六花亭 マルセイバターサンド」をこっそり食べた  (コーヒーにベストマッチング)。


今あらためて考えてみても、正論だと思う。書く以上、それがどんなかたちであっても鈍感ではいけない。反論するつもりはない。けど、ブログで「自分のこと」が語られなくなるのって、さみしいとかいうより、怖い。

そう考えるわたしは鈍感なんだろか。そうかもしれない。だけど「自分語り=鈍感」になるんなら、一生鈍感なままでも別にかまわない気がする。鈍感でも下品でも、やっぱり書きたいし、誰かの自分語りを読みたいと思うから。

結局なにがいいたいかというと、「落ちこんだとき用に、とくべつなお菓子を用意しておくとよい」です。いつ落ちこむかわからないから、できるだけ賞味期限の長いやつでお願いします。

どんなに賞味期限が切れていても絶対に食べるのが特技です