君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

はてなスターを非表示にしてみたら2

おんなじ内容でなんぼほど書くん、ってな感じですが、書き忘れたことがあったので、書きます。

▼前回のエントリ
はてなスターを非表示にしてみたら - 君は世界に一人だけ

「いいね返し」による「いいね」

ブログをはじめたころ、「営業いいね」「営業読者登録」に気づかず、じょじょに増えてゆくスターと読者にぬかよろこびしていたわたくし。

実態を知ったときの驚き&落胆たるや、語るまでもございません。

それから二年半も経つと、さすがにですね、いただいたスターが「(本来的な意味での) いいね」か、「営業いいね」なのか、わかります。ブログのかもしだす匂いで。

スターの意味あいは、ほかにもいろいろあります。社交辞令もあれば、「みてるよ!」という応援、それから「いいね返しによるいいね」。

スターをつけたブログの運営者からいただくスター、つまり先方からの「いいね返し」。これを前回、書き忘れたのでした。

申し訳なさと、うれしさと

「いいね返し」をもらえると、もちろん、うれしいです。

だけど、あ、好き、と思ってつけたスターが、社交辞令となって返ってきたさみしさや恥ずかしさもあったり。

これはスターを初めてつけてくださった方だけでなく、定期的に読みあっているブログ書きの方に対しても、同じで。

こんな、自己憐憫めいたブログにスターをつけていただいて、申し訳ない。申し訳なくて、うれしい、複雑な気持ち。

実際は社交辞令なだけで、わたしが勝手にそう受けとっているだけかもしれないのだけど、はげまされもします。

ブログという衰退ぎみなプラットフォームで、それでもそこそこ時間をかけて、ひとりきりで書くわたしたちが、お互いをはげましあうシステム、はてなスター

うれしい、とか、申し訳ない、とかの感情が複雑にまじるスター。うまくつきあえるなら、めちゃくちゃすてきなシステムなんですよね。

シンプルになれない

ところがそうはいかない人間もおってですね、ほんっと、考えすぎ。自分でもやんなります。
考えすぎってわかってても、シンプルにはなれそうもありません。

このごろ思うんです。シンプルになんか、なれないぞって。

いつまでももやもやして、すっきりしない。不安だし、怖い。でもこのもやもやとつきあうのをやめたら、誰かの出したわかりやすい答えに自分をくるんで、それでよしとしてしまう。そっちのほうが怖いぞって。

はてなスターもそう。いろいろな感情のまじる人間が押し、受けとるのだから、シンプルになりようがないのです。

だから腹くくって、「いいね」にまつわるもやもやと、つきあってまいりましょう。だってなくならないもん絶対。

スターひとつに、思いはいろいろですね。どうでもいいといえばそれまでの、些末なことをちくちく書けるのも、ブログの好きなところです。



このたびうれしいメッセージを頂戴しまして(本当にありがとうございます)、あんまりうれしくってすぐさま印刷したわけですけれども、メッセージのなかに「ブクマしたいけれども、営業ブクマと思われるかもしれない」とあり、「そうやった……」となりました。

考えてみれば、スターだけやないんですよね、この問題。

それから「ブクマも毎回つけたいけれど、ハンコみたいに押してたらどうなんだろうと、いろいろ考えすぎてしまう」気持ち、ものすごくわかります。

好きなブログにはスターをつけます。でも、"いつもスターorブックマークしてくれてたのに、今回してないってことは、ショボかったんや" って相手に思わせる原因になりかねないわけで、それを言いはじめたらスターの色やら数やら……もうどうしたらええのですか。

問題の根の深さに、ぼーとなりますね。スターいっこで。

 

そして、ネムヒコさんが再度、ブログを引用してくださいました!

nemucafe.hatenablog.com

ありがとうございます! なんというか、自分の書いたものがきっかけになって、別の考えを提示してもらえるって、とてもうれしいです。

わたしがスターの表示を続けられなかったのは、ネムヒコさんのように「なぜスターを表示するのか」が明確になっていなかったからだと思います。仮説もなにもなく、ただなんとなく表示していただけ。だから、しんどいに傾いたとき、一気にしんどく感じちゃったのかもしれません。

ちっちゃなことを抱えながらも、できるだけ長く、たのしく続けていきたい。あらためてそう思いました。

ストイックになりすぎないで、路上のピアニストな気分でかろやかにやっていきたいです。

難しいソロは弾けないけど、それはそれ、ですものね。

死んでも悔いはないかもって思うくらい、ほんとにうれしかったです。ありがとうございます