君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

SNSやブログの「自慢と思われる」をあきらめる

Twitterやブログをはじめて以降、自分の発信について「これは自慢になるんだろうか?」って考える機会が増えました。

チケットが取れたとか、いいことがあって「やったー」って言いたいけど、やっぱ言わないほうがいいな……って何となくシュンとしたり。

「自慢と思われる」恐怖に、どう対処すればいいのかを考えてみました。

自慢ってなんだろうね

客観的な意見がほしくて、夫と自慢について話しました。

そんなの気にしてたら、なんにも言えなくなると彼は言います。

「写真だってさ、自分には当たり前でも、見る人によっては自慢じゃん? 考えたらキリないよね」

「自慢と受け取ろうと思えば、なんでも自慢になるよ。自分が自慢って思ってなくても」

受け取られ方はコントロールできない

「彼氏と別れて悲しい」ってコメントにさえ、「彼氏がいたことのアピール」と批判する人がいます。

ここまでくると、正直何をもって自慢になるのかわかりません。

旅行は自慢? スタバの新作は? ライブに行った報告は? 恋人とのツーショットは? 手作りのスイーツは? キッズの発表会は? レーシングマシンの流し撮りは?

どこから自慢で、どこまでが自慢じゃない? 明確なラインは何?

発信者がどんな意識だろうが、相手にどう受け取られるかはコントロールできません。

受け手の心次第という、「どうしようもない」問題なのです。

自分でコントロールできることだけに集中する

自慢と思われるのが怖くて、何も言えなくなる。
こうして実際に文章にしてみると「私、なさけね~~!」って思います。

このままモヤモヤしたくない。

じゃあどうする?

あきらめる。

あきらめて、自分でコントロールできることだけに集中する。

自分でコントロールできることは何か?

言いたいことを、なるべく誤解を与えないように書く。

シンプルだけど、それしか対処法がありません。

誤解されるのが怖い、を克服して書く

この結論に達したとき、クリエイター向けの講座を受講した話を書きました。

インパクトのあった出来事について何かしら残しておきたい」という欲求があったのに、誤解されるのが怖くてずっと書けなかったエントリです。

ものすごく小さな悩みだけど「自慢と思われる」を克服して書いたことで、モヤモヤがすっと成仏しました。

書けてよかった。

まとめ

「自慢と思われるかも」にどう対処すればいいかを考えてみました。

意図や内容にかかわらず、すべての発信は自慢と受け取られる場合がある。

受け取られ方はコントロールできないから、あきらめる。自分でコントロールできることだけに集中する。

以前にも同じような結論に達した気がするけど……それでも、こうして書かないと解決できないんですよね。良くも悪くも。

何でもひとっとびにはいかないですね。あんま焦らないで、ちょっとずつ向上していきます。