君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ビジネス書を読むのやめた

私は社会人である。つまりその道のプロである。
「あるべき自分」になるため日々スキル向上に勤しみ、努力を惜しんではならない。
そしてビジネス書は、社会人人生においてなくてはならないものである。

なんて大嘘だ。
人生に必要なのはビジネス書じゃない。

* * *

数年間、私は毎日せっせとビジネス書を読み漁っていた。電車の中で読み、寝る前にも読んだ。
ビジネス書は日々一歩ずつ向上している実感を与えてくれた。これを続けていれば、いつかは「あるべき自分」になれる気がしていた。

だけど本の内容を実践する前に、片っ端からきれいに忘れていった (マッキンゼーのメソッドを使う場面が私の日常にはない)。
私は何一つ向上しなかったし、「あるべき自分」にもなれなかった。結果、いつまで経っても自分を許せず、認められず、愛せなかった。

私はただ自分を安心させるためだけにビジネス書を読み漁っていた。穴の空いたバケツで水をすくうみたいに。

* * *

5月の自粛期間中に断捨離を断行していたとき、私は一冊のエッセイ本をたまたま手にとった。
村上春樹の「雨天炎天」である。

今の部屋に越してくる4年前、本という本をほぼ処分した。その中で唯一生き残ったこの文庫本さえ、私は4年の間に一度も手に取らなかった。
ビジネス書以外の本を読む精神的余裕なんてぜんぜんなかった。

村上春樹といえば世界的な作家である。あるいはセレブ的内容を想像されるかもしれないけどとんでもない。「雨天炎天」はこの世界的作家があらゆる辛酸をなめつくす、すさまじい内容だ。そこへ彼独特のユーモアが散りばめられていて、ぐいぐいと引き込まれてしまう。

軽い気持ちで読み始めたら、もう止まらなくなった。心がかさかさに乾ききっていることに、突然気づかされた。

私はずっと「生きた文章」に飢えていたのである。

* * *

その日を境に、無目的にビジネス書を読むのをやめた。ビジネス書は私に偽の安心感を与えていただけだった。そのむなしさに気づいたら、とてもじゃないけど読みたいとは思えなくなった。

苦しんだぶんだけ「あるべき自分」に近づけるなんて、いったい何に刷り込まれた妄想だったんだろう。そもそも何のパワーワードだ、「あるべき自分」って。

そのとき読みたい本を読み、見たい映画を見、ききたい音楽をきく。
こんな、人として当たり前のことをずっとできずにいたのかと思うと、あまりのバカバカしさにちょっと泣けてくる。

* * *

ビジネス書を無目的に読んだって、人生は報われない。ビジネス書は必要に応じて体系的に学ぶためのもので、使わない知識をいくら詰めこんでも自分のレベルアップにはつながらない。
ビジネス書一冊につき「レベル2こうじょうした!」というわけにはいかない、残念ながら。

「あるべき自分」とかいうニンジンを鼻先にぶら下げて、血眼になって走りつづける人生なんていやだ。

そのとき読みたい本を読み、見たい映画を見、ききたい音楽をきく。
会いたい人に会い、食べたいものを食べ、歌いたい歌をうたう。

社会人になったからって、こういうのを捨てなくたっていい。
人生に必要なものが何かを忘れないように、私は自分の欲をちゃんと知っておきたい。