君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

access「LIVE ARCHIVES BOX Vol.2」〜さよなら、デリケイト・ガール編

前回、accessのライブDVD『LIVE ARCHIVES BOX Vol.2』に関する所感のようなものを書いた。

littleray.hatenablog.com


どさくさに紛れて、今回はこのDVDにまつわる私の「超個人的な話」にお付き合いいただければと思う。

※ 内容について ※

  • いつにも増して「超個人的な話」です。客観的視点はスーパーゼロとなっております。
  • 7月頃の「出戻る予感ゼロ時代」の内容です。
  • 私自身の思い込みの激しさからびっくりするような「あらぬ誤解」をしています。ファンの方におかれましては驚きの展開と存じますが、何とぞご承知おきください。



access「LIVE ARCHIVES BOX Vol.2」
〜さよなら、デリケイト・ガール編

1. 擬似的ガラスの十代

accessのライブ映像が私に与えた衝撃は、過去のエントリで書いた。

それはK-POPのライブDVDで得た"癒し"などという受動的で消極的なものとはまったく違う、自分が新しく生まれ変わったかのような、想像もできなかったほどの大きな変化だった。
元K-POPファンがK-POPに出戻ろうとした結果、25年ぶりにaccessに帰還した話〈後編〉 - 君は世界に一人だけ


このライブDVDによって、私の内部に大きな変化が起こった。私はそれを好ましい変化としてとらえていた。

でも実は、困った事態も同時に引き起こされていた。私の心は、そうとは気づないうちに「純化」が進行していたのである。
防御シールドのような心を守るものもなく、とても繊細になっていた。まるで思春期の、ガラスのハートそのもののように。

たとえばDVDを見ていた夫が、ちょっとでも茶化すようなことを口にすると私はまともに傷ついた。
彼は半分冗談に、重箱の隅を楊枝でほじくるような指摘をする (しかも的確である)。今でこそダーツの的にするか回し蹴りでその口を黙らせる私だが、「純化ゾーン」に突入していた時はしょんぼりしてしまった。

しまいにはHIROの歌が、本当に上手いのかも分からなくなった。私の感激は度を越しているのではないかという心配が生じたのである。

HIROは本当に歌がうまいのか。それとも私が好きだから、そう感じているだけなのか。私は夫におろおろと聞いた。
彼は呆れかえった目で私を見た。妻に対する夫の目というより、毎日宿題を忘れてくる落ちこぼれの児童に対する担任の目である。
「うまいよ」、彼はため息をついて言った。
職業柄、音楽に対する夫の評価はきびしい。そして評価には私情を一切挟まない。最高の褒め言葉は「悪くない」、その彼が「うまい」と言った。
「私が好きだったKぽグループよりうまいよね?」私は畳み掛けるように聞いた。
くだんのグループには、K-POP界においてもとくに歌が上手いといわれるメンバーが一名在籍している。HIROの表現力はその彼をも凌駕している、ように私には聞こえていた。しかし自信を持てなかった。あるいは都合の良いように捉えているだけかもしれない。
落ちこぼれの児童に対し、彼は今度は大げさにため息をついてみせた。
「あなたそんなことも自分で分からないの。はっきり言って比べるのも失礼だよ」
Kぽにも上手いシンガーはいる。だけどレベルがぜんぜん違う。彼は私に言い聞かせるように説明した。
「ていうか、あなたらしくないね」と彼は言った。「どうしちゃたの」
なんでだか分からないけど、すごい繊細になってる気がすると私は釈明した。accessに関してだけはいかなる批判も目にしたくない、そんなものを見たらものすごくショックを受けてしまいそうだ、と。

2. ガラスのハート、砕け散りけり

DVDを見るのが日課となりつつあった頃、私は他の人がどう評価しているのか少しずつ気になりはじめていた。きっと大絶賛の嵐が吹き荒れているはずだ。そんなコメントを読みたくてウズウズしていた。よせばいいのに、私はTwitterでDVDの評価を検索し始めてしまった。

そしてあるつぶやきに目を止めた。

出戻った今なら「ははあ、なるへそ」と思う程度だ。共感はできないけれど、理解はできる。努力をすれば、今の彼らを応援せんとするファンの愛さえ感じ取れるかもしれない。
でもこの時私はaccessに出戻ってはいなかった。精神ごと25年前に戻った、擬似的ガラスの十代だった。

このツイートに、私は氷水をぶっかけられたような気がした。自分でも驚くほど強いショックを受けたのである。

このツイートが本当だとしたら、当時のライブ映像にここまで引き込まれている自分はいったい何なのだ。私の精神が幼稚だからなのか。私はただ、彼らのルックスや当時の熱に浮かされているだけなのだろうか。

唐突に生まれたこの悲しい問いの矢は、私の心の奥へ向けて猛スピードで突き進んでいった。

やっぱり私は何も分かっていなかった。何かを分かったことなんてただの一度もなかった、これからだってずっとそうだ。私の感動は浅はかで、取るに足らないものだった。何が「自分を取り戻した」だ。そんな程度の低いものが戻ってきたからって何になる。私は一体何を大騒ぎしていたんだ。
もしかするとaccessのふたりだって、このDVDを出したくはなかったかもしれないのに    

悲しい問いの矢が、心の奥深くに突き刺さった。私は息がとまりそうになった。心の温度が急激に下がっていく。

何らかの重大な契約によって、彼らはしぶしぶ判子をついたかもしれない。彼らにとって当時の活動は「なかったこと」になっているのかもしれない。つまり私は、彼らの「ベストとは呼びたくないもの」に心から感動し、涙を流していたのである。

このDVDを見て浮かれきっている私は、二人に対しても、今のファンに対しても非常に失礼な存在なのかもしれない。それどころか、彼らの尊厳まで傷つけているかもしれない。

accessとの再会でこの手に取り戻したはずのものは、ガラス細工のように頼りなく繊細だった。あと少し何かの衝撃が加われば簡単に壊れてしまいそうだった。まるで最初から何もなかったみたいに。

3. ステージの価値を決めるもの

私はしばらく谷底でうずくまっていた。もうDVDを見る気力は失われていた。もうこれから二度と見られないかもしれない。私は過去からやってきた、忌まわしき亡霊なのだ。

帰宅した夫が、谷底にいる私を見てびっくりした。私は重い口を開いて、ショックを受けたツイートの内容を説明した。彼の表情がさっと固くなった。
「何それ。そんなの、あの二人に対しても、当時のスタッフに対してもすっげえ失礼だから」
声にはめずらしく怒りがこもっていた。冷静な彼がそのような声を出すのは珍しい。自分に対して言われたみたいな気持ちになったのかもしれない。
怒りが収まらないのか、彼はくどくどと何事かを語った (わりに良いことを言っていたと思うけど忘れた)。そして最後にこう言った。ライブの方向性が違っても、命をかけて作るのに変わりはない。そんなの当たり前だ。アーティストもスタッフも、いつだって100パーセント真剣にやってる。

うんうん、と聞いていた私は、唐突に泣きそうになってニヤニヤ笑った。でも涙をこらえるには胸が熱くなりすぎていた。私はわっと泣き出してしまった。
そうだ、彼の言うとおりだ。当時のライブだって彼らは命がけだった。それなのにどうして私は信じることができなかったんだろう。

こうやって私は自分の感受性を捏造して生きてきた。この捏造がどれほど自分を痛めつけ、貶めてきたかを知っている。
それなのに、また元の木阿弥となって無抵抗のまま精神の領土を明け渡すのか。思いつき的に発生した罠に屈して、何より尊い直感や感受性を永遠にねじ曲げ続けるのか。冗談じゃない。世界の誰が何をわめこうが、私は私の領土を明け渡すわけにはいかない、もう二度と。

当時の活動は「なかったこと化」しているかもしれない。私はやっぱり何一つ分かっていないかもしれない。
それでもいい。真実なんかもうどうでもいい。
ステージの価値を決めるのはほかでもない、この私だ。

4. 離れていても、君のすべてを

私はDVDを再生した。再生するのが何度目かも覚えていない。これがビデオテープだったら、テープから虐待を訴えられているところである。

せっかく谷底から這い上がってきたのに、いつもと同じように「かっこいい、かわいい」しか言えない。画面を見ながら私はちょっと涙ぐんだ。だってしょうがない、本当にかっこよくてかわいいんだもの。

実はこのとき、例の「ゲシュタルト崩壊」が起きた。
accessが愛の存在だと気づいたのはこの時だった。
以下は、あまりに個人的にすぎる内容のためにエントリから削除した文章である。

accessは愛だと気づいたら、色んなことが腑に落ちた。私の中でピースがうまくかちりとはまったような感覚があった。たとえ本人たちから「いいえ、そのような要素はびた一文含んでおりません」という声明が発表されたとしても、どう受け取るかは (今のところ) オーディエンスの自由である。

ライブは終盤の「S-MILE GENERATION」に差し掛かった。
画面の中の彼らはとても幸せそうである。私もつられてにこにこする。
私は当時の彼らよりずっと大人になった。なのに、いまだに当時の曲に励まされる自分が可笑しかった。いや、むしろこの歌が今ほど胸を温めたことはないかもしれない。

君が流す涙を いつまでも受け止める
離れていても 君のすべてを

HIROの歌う「いつまでも」が、なぜか今この時も続いているように感じられた。「離れていても」    距離だけでなく、時空さえも超える愛を感じずにはいられなかったのである。

彼らの思いや愛が、27年の時を超えて精神の深部に流れ込んでくる。内部の分厚い氷を穿ち、私の最深部に到達する。そこには自発的なエネルギーが存在している。長いあいだ忘れていた、私自身の内なる炎だ。それはこの私さえも恒星であることを示す熱である。

accessと再会しなければ、そんな熱の内在に気づくことはなかった。私の内部がどれほど分厚い氷で覆われていたかを知るものは私だけだ。これを溶かしたものが愛でなければ、私は地上の何ものも愛とは認められない。

それほどに、彼らは本質的に愛なのである。

5. さよなら、デリケイト・ガール

価値は私が全部決める、と腹をくくったら、何も気にならなくなった。懐古主義と言われても、私はこのDVDを棺桶に入れて天国へ一緒に行く。神様もそれくらいは目をつぶってくれるだろう。

私は擬似的ガラスの十代ではなくなった。純化した心に進化系アーマーをアダプトした、ちょっとタフな大人へ変化した。それからは以前のような「accessに対するネガティブな意見を聞くのが怖い」的繊細さは消えた (積極的にききたいとも思わないけれど)。

いっさいがっさい全部がハッピーというわけじゃない。私は新興宗教に入信したわけではない。人間である以上、日常的な葛藤や悩みから完全に解き放たれるなんて無理である。
それでも以前に比べて私は変わった。少なくとも「良い方向」に変わった。それで十分だ。


なお、出戻り前のとんでもない「あらぬ誤解」には後日談がある。

accessオールナイトニッポン動画」で、HIROが「(LIVE ARCHIVES BOX Vol.2を) 何回も観てる」という旨の発言をしたのである。
彼のこの発言をもって、当時の活動が「なかったこと化」されていないと証明された (当たり前だ)。

今も昔も、同じくらい大切だ。どっちが良いなんて比べたくないし、その必要もない。
彼らは私のようなファン同様、あるいはそれ以上に過去の活動を大切に思っている。そう感じさせてくれる発言を、二人の口から聞くたび私の胸は温かくなる。

私は過去からやってきた忌まわしい亡霊ではない。
ちょっとばかし遠回りしただけの、ワープ系ファンある。




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