君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

感想を書くのがしんどい

えらそうに舞台の感想なんかを書いたけど、あんなもん書くんじゃなかったと、後悔しはじめている。

自慢じゃないけどわたしは鈍感だ。
上司に「なるほど、つまりこういうことですね」と概要をくり返すと「そうじゃない」といらいらされる。
ライブの内容をほぼ覚えておらず同じライブに参戦した友だちと話がかみあわない。
エヴァンゲリオン』が結局どういう話なのか何回観てもさっぱりわからない。
社交辞令で「今度遊びましょう」と言った相手にしつこく遊ぶ約束を取りつけようとする(そして連絡が取れなくなる)。

鈍感なうえに、察しも悪い。ゆえに作品のメッセージをひとつも受け取っていない可能性が高い。幸せな気持ちになったラストシーンが実は残酷なバッドエンドかもしれず、そもそもわたしの解釈が当たったことなど一度もない。

感想を書くのはしんどい。舞台でもライブでも本でも何でも、とにかくしんどい。
知識がない、批評ができない、感想がうすっぺらい、それ以前に内容が思い出せない。自分の知能がだんだん猿並みに思えてくる。

しぼりだした感想が空振りするのもしんどい。空振って恥をかき、猿並みとバレるのがいやでたまらない。だれだって自分が猿と思われていい気はしない。猿並みのわたしにだってプライドはある。

いや、この際他人に猿と思われるのは、いい。他人の思惑はコントロールできない。コントロールできることとできないことを分けろとその手の本に書いてあった。諸悪の根源は比較であると。

よって、よその感想をいっさい読んではいけない。人のを読んで死にたくなったら困る。死ぬために感想を書いたのではない。

それにわたしは鈍感なだけでなく、ものすごく染まりやすい。よその感想なんて読んだら、まるで最初から自分が考えたかのような錯覚におちいる。おちいるだけならまだしもブログに書く可能性がある。猿はいいが猿真似はだめだ。

そういえば以前Twitterをやっていたとき、心の底からの感想を書けなかった。周りの目をやたら気にする自意識過剰な性格のせいだと思っていたが、そうではなく、人の感想を読みすぎて自分が何を感じたかを見失っていたのかもしれない。

わたしなんかがつぶやく必要はない。素敵な感想を書く人は、ごまんといる。記憶だってあいまいだし、同じような感想はもうどこかに書かれてるはず。

そんなことを言いつつ実際はただ恥をかきたくないだけだった。

一方で、こうも思っていた。
簡単に言葉にしたくないと。

舞台とかライブとか本からキャッチした感動、波動。こんなわたしでも、ときに全身全霊で「何か」を受けとめる瞬間がある。ほとんど神秘的ともいえる、そんな感覚を言葉にしたとたん、信じられないくらいチープでありきたりなものになる。あるいは、嘘のかたまりみたいなのができあがる。

そんなものに置きかわるくらいなら、そうっとしまっておきたい。言葉にせず、きれいなものを、きれいなまま残しておきたい。そう考えていた。そしてそうっとしまっておいた結果、どんな舞台ライブ本だったか、何を思い何に感動したのかほとんど忘れてしまった。

感想は、書くのがしんどい。それでも書かないと根こそぎ忘れてしまう。それに今は、できるだけ言葉にしてみたいという欲がある。人間、としをとると面の皮も厚くなるってほんとだなとつくづく思う。

面皮厚でも、チープでも、ひとまず書いたことは書いた。最終的に空振って恥をかき「猿めが」と思われたとしても、書くだけは書いた。

書かねえ猿はただの猿だ。どこかの猿が言っていた。べつにただの猿でいいんだけど、それよりこの前「今度飲みましょう」と誘ってくれた人から返事がこない。