東京都美術館で開催中の「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」へ行ってまいりました。
今回の目玉はなんといってもフェルメールの 《窓辺で手紙を読む女》。
画中画のキューピットがフェルメールの死後、何者かによって消されたことが近年の研究で明らかに。
大規模な修復プロジェクトによって、フェルメールの描いた本来の姿に生まれ変わった……という、なんともミステリアスな作品です。
所蔵館以外では、世界初公開とのこと。
これはぜひ見てみたいと、チケット販売日に予約しました。
謎多きフェルメール
フェルメールは寡作な画家で、その作品数は35点ほどといわれています。
意外にも子だくさん (14人!) で、画家として高く評価されていました。
故郷デルフトからほどんと出ないまま、フェルメールは43年の短い生涯を終えます。
個人的な資料も、素描のたぐいも残されていません。
そのために謎が多いといわれていますが、研究者によっては「400年前の画家の資料がどっさり出てくるほうがおかしい」という意見も (そりゃそうですよね)。
ちなみに生まれは1632年。哲学者スピノザと同い年 (!!) です。
当時はいわゆる大航海時代、オランダの黄金時代でした。
フェルメールは他の画家となにが違うのか
付け焼き刃の知識で説明を続けますと、同時代の画家たちの絵は、「だれが見ても意味がわかる」ドラマ性のある絵で、すんごく明快なのです。
いっぽうのフェルメール作品は一見なんの変哲もない、静かな日常のひとこま。
絵のなかに、わかりやすいメッセージが込められていないのです (後期にはあからさまな絵なんかもありますが)。
うっかり「わかりやすい絵」になると、わかりやすいパーツを消しちゃうのがフェルメール。
だからこそ、《窓辺で手紙を読む女》のキューピットを消したのはフェルメール自身であると長年信じられてきました。
《窓辺で手紙を読む女》
ところが、キューピットはフェルメールの死後に消されたことが最新の研究で判明。キューピットの消失は、彼の意思ではなかったのです。
(だれがなんのためにキューピットを消したのかは、いまもわかっていません)
4年がかりの修復プロジェクトを経て、めでたく本来の姿に戻った作品をひと目見ようと、《窓辺で手紙を読む女》の前はぎっちぎちの密状態。
リアルタイムの国内密ランキングがあったら、ぶっちぎりのトップだったんじゃないかと思います (あの瞬間、みんなコロナのことちょっと忘れてたと思う)。
先入観もあるけど、本物のオーラったら、もう、すさまじいものがありますね。
すぐそばにキューピットなしの複製画が展示されていたのですが、びっくりするくらい別モノでした。
《窓辺》は、見れば見るほど奥深さを感じさせる作品です。
手紙を読んでいる女性には、これといった感情が浮かんでいません。目からずいぶん離して手紙を読んでいるし、彼女がどんな気持ちでいるかも推測しにくい。
いっぽうで彼女を取りまくモノ、格子窓のクロスした部分や、袖に縫いつけられたモールのようなパーツ、手前の果物にまで「光の粒」が表現されている。
ここまではフェルメールっぽさ全開といった感じだけれど、今回お目見えした、フェルメールらしからぬデカすぎキューピットがもう、もう。
(キューピットは仮面を踏んづけてさえいます)
このキューピット出現によって、「かならず最後に愛は勝つ」以外の考察ができにくくなったことは間違いなかろうと思います。
17世紀オランダの絵画
フェルメールの絵が見られるということで、事前に予習をして足を運んだのですが、彼の絵はなんと《窓辺で手紙を読む女》いちまい。
あとはすべて、フェルメール同時代の画家の作品でした。
わたしはどうも、17世紀オランダの絵画にたいする興味がうすいようで、《窓辺》以外は遠目に眺めるだけで終わってしまいました。
世情を反映しているのか (当時オランダは戦争ばっかしてたそう)、絵とはこういうものであるという強力な枠組みがあったのか、写実的・トーン重めな作品がほとんど。
同じオランダ出身の画家でも、19世紀終わりごろのゴッホとはずいぶん雰囲気が違うものですね。
当たり前といえば当たり前なんですけれど、実際に見ることで勉強になりました。
全体的には玄人むけの絵画展といったおもむきだったように思います。わたしにはまだ早かった。
ともかく「愛は勝つ」的キューピットを拝められて、満足でございました。