君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

なにを着ればいいのかわからない問題

なにを着ればいいのかわからなくなってから、ずいぶん経つ。

30代も後半に突入した頃だったか、社内の若い子たちが、突然ぱりっとして見えた。あれ、なんか、みんなかわいい。服がおしゃれで、アクセサリーなんかもつけてて。とにかく全体的にかわいい。

社内だけでなく、街でも、電車の中でもそうだった。みんな、やたらかわいい。前からこんなだったっけ?

一方こちらはよれた服を着て、メイクはなおざり、なんか全体的に終わってんなって感じで、ものすごく恥ずかしくなった。

終焉を自覚したところでどうにもならない。よれた服を順ぐりに着て、毎日ぼーと「みんなかわいいなあ」と思い、思うたびに自分を恥じた。ああいう女にだけはなりたくないとか思われてるんじゃないか。自意識過剰に落ちこんだりもした。

もうちっと若ければ、気力があれば、奮起したかもしれない。無理。もはや服を探したり選んだり試着したりする気力体力が、ぜんぜんない。ぜんぜん、無理。

そして今年の冬、手持ちのニット4枚のうち3枚に穴があいた。穴があいても服として機能はする、ただ外に着ていける服が1枚しかないというは、ちょっと困る。

じゃあ長袖買うかって探しはじめたら、うんざりするくらいの種類。見れば見るほど、迷い悩む。で、「結局、なにを着ればいいのか」という、どうしようもない問題が目前に立ちはだかったというわけです。

困りはてたわたしは図書館へ行き、ファッション指南本をごっそり借りてきた。読んだら、ますますわからなくなった。

どれも、似たようなことが書かれてある。定番の服を定番の色で買え、なるたけ上質のを買え (とくにアクセサリー)、徹底的に試着してラインを確認しろ、シャツを買え白を着ろスカートはひざ下ベージュはやめろアクセサリーつけすぎるな安物だけで固めるな冒険するな。

なんというきびしさか。服を着るだけで、こうもきびしくあらねばならんのか。

ご存じのとおり本に掲載された写真はぜんぶ素敵、まったく同じ服を自分が着ても絶対にこうはならん、という素敵ぶり。

たとえ洗練されたシャツを着ても、ハイブランドのジュエリーを身につけても、わたしの内部にある、隠しきれない垢ぬけなさや貧乏くささは、どうしたってにじみでてしまう。歳をとるということは、そういう「ごまかせなさ」に自分で気づいてしまうことなんではないか。また、落ちこんだ。

 

図書館に本を返すついでに、またファッション指南本コーナーをうろつく。それにしてもいっぱいある。図書館でこれだけあるなら、実際にはもっとあるはず。

ということは、ファッション指南本があふれているということは、それだけ困っている人が多いということで、かつ一冊二冊で解決できるようなイージーな問題ではない、ということではないか。ファッション問題に、本気で立ち向かえる40代50代なんて、実はそんなにいないんではないか。

みな自分に似合う服やアクセサリーをあちこち探しまわるヒマなんぞ、ない。
それなのに小ぎれいな格好はしなくちゃいけない。だから理論に頼りたくなる。間違いのない服を、間違いのない人に教えてもらいたい。よろしい服を選ぶ時間も気力も体力もないから。

べつにおしゃれさんになりたいわけじゃない。褒められたいわけでもない。自分に似合う服が、少し欲しいだけ。それだけのことが、どうしてこんなにむずかしいんだろう。

指南本のタイトルを眺めるだけで、重い気分になる。いくら読みこんでも、わたしはそのセオリーをいかせない。あんな女にだけはなりたくない、みたいな女に、もうなっちゃってるのかもしれない。

目についた「おしゃれは7、8割でいい」(地曳いく子著) を手にとる。中身を読んで、おどろいた。

ファッション指南本、のはずなのに、一枚の写真もない。骨格がどうの、肌の色がどうのとは一言も書かれてない。
ここにあるのは、人生の話だった。書いてある言葉のすべてが胸に刺さった。うっかり涙が出そうになった(図書館で)。

服を買おう。

本を読んで、思った。ユニクロへ走り、目についた服を試着した。自分が、ちょっとぱりっとして見えた(新品だからね)。

新しい服を買ったら、あっという間に幸せな気分になった。なんという手軽さか、あんなに悩んだのに。いや、じつはたいして悩んじゃいなかったのかもしれない。

30代以上の、おしゃれがしんどい人生がしんどいと感じている女性にぜひ読んでもらいたい、「おしゃれは7、8割でいい」はそんな本です。

終わりかけでもええじゃないか(虚勢)