夜に走るのを日課にしています。
いまだ走行距離はのびず、だいたい7分くらい。それでも、心臓破りの坂のおかげで死ぬほどぜえぜえなります。不審者レベル。
ほんとうはじんわり汗をかくくらいの運動がよい、らしいのですが、ぜえぜえなると「やってやった」感を味わえて気分がいいという、それだけの理由でジョギングを続けております。
過去を思い出す
走っていると、過去の記憶をふいに思い出すことが多々あります。
思い出した記憶を、なんの脈絡もなくブログに書くもんで、読んでくださる方には「なんで急に?」という印象を与えているかもしれません。
ただ困ったことに、ああして書きださないことには、走るたびに思い出しちゃうんです、なんでかしらないけど。
で、書いちゃえば、ふしぎに忘れる。
これもひとつの「手放し」なのかなと思うのですが、ブログ書きのみなさま、いかがでしょう。
今後もたぶん、過去の記憶をなんの脈絡もなく書くと思いますが、そういうことでひとつ、どうぞよろしくお願いいたします。
ネガティブの反転
ときには、ネガティブな考えが反転することもあります。
生来、すべての出来事や予測にたいしてマイナスにしか考えられないわたくし。
走っていると、なぜか思考が反転するというミラクルが起こるのです。
たとえば仕事のアウトプットに不安を抱えているとき、「わたしにできることはやった」と思えたり。
体を動かしている最中に、ネガティブな感情は浮かびにくいのかもしれません。
そう、だからもっと運動を!……とは思うのだけど、これがどうも、うまくいかない。なんでだろう。
運動のめんどくさいをどうにかしたい
運動って、なんでめんどくさいって感じるんでしょう。
やりはじめたら流れでやれちゃうのに、やりはじめるまでがすっごくたいへん。
フルリモート化する前に、早いとこ自分に合った運動を見つけて、さっさと習慣化しておかないと、待っているのは地獄の生活習慣病です。
現実的に、ジョギングの距離をのばす、朝も走る、の2本立てしかないなあ、とあきらめております。
ああ、いうはやすし……。
「病気になりたくないだろう」と、自分をなかば脅して走ってきました。
だけど脅しではなく、健康や老後のためでもなく、運動そのものによろこびを見いださないと、続くものも続かない。ちょっとでも間が空くと、すぐ心が折れてしまいそうです。
どうすれば運動をおいしいと感じられるか。
今夜も走りながら考えてみます。