テレビに出演したことがある。
といっても、二十年ちかく前の深夜帯ミニ番組で、その番組が存在したこと自体、だれの記憶にも残っていないと思う。
そんなミニ番組でも、企画から台本、撮影、編集まで、一本の番組にたいへんな労力が支払われている。見ると経験するではまったく違うものだなあと感じ入った。
その意味で、タレントさんはほんとうにすごい。慣れもあるだろうけど、人前に立つというのは想像以上に過酷で、どえらいお仕事なのでございました。
お前がやるんだよ
音楽業界のすみっこにいた十数年前のある日、業界初の画期的な商品が発売された。
その画期的な商品がどう画期的なのかを取材したいということで、メーカーがオファーを受け、わたしの在籍する部署に依頼がまわされた。
先輩の話を耳半分に聞きながら、へえ、テレビ撮影かあと思った。下っ端には1ミリも関係ない話だった。
「ちゃんと聞けよ。お前がやるんだから」
3つ年上の先輩が、当たり前みたいな顔で言った。
「はあ?」
「お前がやるんだって、テレビ」
わたしは笑った。冗談は顔だけにしてほしい。
「いやマジで」と先輩は言った。ぜんぜん笑ってなかった。
「なんでですか。ふつうに先輩がやればいいじゃないですか」
「俺はやれないの。なんなら俺がテレビ出たかったわ」
だったらあんたがやりゃあいいじゃんという顔を作った。
正直いって、わたしがやるとはまったく心配していなかった。なぜなら、メーカーにはプロモーション専門の「半タレント」みたいな最強エースが存在しており、彼らが対応するにきまっているからだ。
彼らは当然、テレビ出演はやぶさかでない以上の気概をもっている。こんな下っ端の出る幕などないのである。
すると先輩の口から、おどろきの発言があった。
「男はダメなんだってさ」
「え?」
「テレビ局が女性を指名してる」と先輩は言った。「お前しかいないんだよ」
先輩の手からFAXを奪い、概要に目を走らせる。マジだった。番組の方針として、若い女性を出演させたがっている。
「いやいやいやいや……」
わたしは気安く笑った。このときはまだ、突っぱねれば逃げ切れると思っていた。
エースが対応すべき仕事を引き受けて、恥をさらすなんてまっぴらごめんである。
「絶対イヤです。ムリに決まってるじゃないですか、テレビなんて」
「バカ。めったにないぞ、こんなチャンス」
「なにがチャンスだ」
「これ命令だから」
「は?」
「上からの命令。お前に選択権はありません」
いまにして思えば、あれは嘘だったと思う。なのにあっさり信じてしまった。
そうこうしているうちに、話を聞きつけたほかのスタッフがやってきて、わたしをおだて、褒めちぎり、祭りあげはじめた。
人間というのはどうして、こうもおだてに弱いのだろう。テレビでもなんでも持ってこいみたいな気分になる。
最後には「テレビなんか余裕っすよ」と大口をたたいて出演を快諾してしまった。
やーだね
その夜のうちに死ぬほど後悔したけれど、やると言ったからにはやらねばならない。気合と根性が信条である。台本を受け取って以降、仕事そっちのけで練習を開始した。
「テレビに出るんだって?」
撮影前日、エースのひとりと偶然すれ違い、相手から声をかけられた。
相手の顔を見たとたん、膝から崩れそうになった。『なんでわたしが』という思いが、一気にわきあがってくる。
「○○さんやってくださいよ。なんでわたしが……」
恨みをこめて言うと、相手は目尻にしわを寄せて笑った。いつ見ても、腹の立つくらいきれいな顔をしている。
「深夜帯だろ? やーだね」
「でも、テレビですよ」
むだなのは承知のうえで、なお食い下がった。
ゴールデンなら代わってやるよ。そう言い残して、相手はさっさと行ってしまった。イケメンという人種は、基本的に人でなしである。
台本にない!
撮影当日。20分ほど押して、ディレクターと撮影クルーがやってきた。
想像していたよりずっと人数が多かった。2、3人でやるのかと思ったら、8人くらいいる。酸素濃度が急激に下がった気がした。
髭をはやした大柄のディレクターと、撮影前の短い打ち合わせをする。テレビ関係者とまともに話すのは初めてだったけれど、音楽関係者とは根本的に、なにかが違うと感じた。
言葉そのものは丁寧なのに、相手のしゃべりかたには、どこか常に気の急かされるところがあった。砂時計の落ちきる寸前みたいな慌ただしさが、わたしの表面に貼りついた。
目を動かすと、先輩を含む全スタッフが、にやついた顔でこちらを見ている。全員窓から投げすててやろうかと思った。
簡単な打ち合わせがおわると、撮影はすぐにはじまった。
タレント不要の、動きのない資料映像をたんたんと撮っていく。
緊張がほぐれてきたころ、「じゃあ、ちょっと弾いてみてください」と言われた。
「え?」わたしは聞き返した。そんなの台本になかった。
「簡単でいいです。さらっと適当に」
目で先輩に助けを求める。相手はさっと目をそらす。明確な殺意がわいた。
できませんとは、とてもいえる状況じゃなかった。相手はこちらをプロだと思い込んでいる。いまさら逃げ出すわけにはいかない。
失敗したらメーカーの顔に泥を塗る、そう思ったら気が遠くなりそうだった。
全身に脂汗をかきながら、めちゃくちゃに弾く。ほとんど泣きそうだった。
何度か弾かされてOKが出る。どっと疲れたころ、ようやくタレントがマネージャーとともに現れた。
リアル・バービー人形
タレントの女性はまさしくリアル・バービー人形だった。
目が少女マンガみたいに大きく、手足は長くほっそりとしていた。
同じ人間とは思えない美しさだった。
ハーフ美人の天然系タレント。彼女のイメージはとにかく明るくて、突拍子もないことをいう、そんなところだった。
しかし目の前にいる彼女は、新品のコピー用紙みたいに無表情だった。
なるほどと思った。タレントはカメラの前でタレントになるのであって、常日頃からタレントであるわけではないのだ。
彼女はディレクターの話をじっと聞いていた。わずかな動作さえ節約しているようだった。
台本を手に取ると、すぐにヘアメイクさんが彼女の髪やら顔やらの最終調整をはじめた。
その間、彼女はひとこともしゃべらなかった。こちらをちらとも見なかった。
場の空気が凍る
撮影が始まると、彼女は豹変した。現実世界で聞いたこともないような甲高い声で番組名を叫んだかと思うと、ハイテンションで番組を進行しはじめた。
これにはもうびっくりして、あやうく台詞を忘れそうになった。
撮影は中盤まで滞りなくすすんだ。
緊張は完全に消えていた。台詞は脳に刻みついている。完璧だ、このまま突っ走れる、そう思った瞬間、台詞が飛んだ。
喉がつかえ、頭が真っ白になった。
「……すみません」
声をしぼりだすと、場の空気が凍った。
氷にひびが入ったような緊張感に、わたしは心底おどろいた。一般人が多少間違えたところで、大目に見てもらえるとどこかで思い込んでいたのだった。
そして「大丈夫ですよ」とディレクターが笑った、その目。
目が笑っていない顔というのものを、生まれてはじめて見た。
ミスで撮影を止めるとは、つまり、その場にいる全員の時間を奪うことなのだ。一般人だろうがなんだろうが、ミスは許されない。それが撮影なのだと知った。
断りをいれて台本を確認し、ぶつぶつと口の中でくり返す。
次はない。家族の命がかかっている。そう自分にいいきかせ、最大限の集中力を引きずり出す。
生来あわてんぼうのわたしが、どこまでも集中して冷静でいられたのは、精神を極限まで追いつめたおかげだと思う。
最後の最後、寄せてくるカメラに向かって「バイバイ」と全力の笑顔で手を振ると、カットがかかった。
タレントはこちらを見ないまま、見事なまでの無表情で去っていった。
ディレクターは分厚い手で拍手して、一般出演者をねぎらった。
「いやあ、テレビがはじめてとは思えないですよ。おかげでスムーズに撮影できました」
愛想笑いをうかべた目は、すこしも笑っていなかった。
翌朝わたしは高熱を出し、仕事を休んだ。
そして放映へ
やりきった解放感から、知り合いという知り合いに連絡をとりまくり、しっかり予告した。
一生であるかないかの大仕事なのだから、そのくらいは当然である。
当日、恋人と一緒に放映を観た。わたしがテレビに映った瞬間、彼は笑い崩れた。
必死に弾いたシーンは見事に音が消され、ナレーションが挿入されていた。だったら最初にそう断ってほしかった。
編集というのはすごいもので、タレントなしで撮影した部分と、タレントの部分がうまくつなぎ合わされ、めりはりのある15分となっていた。
テレビってすごいなあ。素直に感心した。
自分の顔が映っていることよりも、しゃべったことがテロップに映し出されるのに感動した。テロップが出るだけで、プロの発言であるかのように見えて気分がよかった (※台本である)。
最後に炸裂させた笑顔は我ながら1000パーセントだった。それを見た恋人は床をたたいて笑った。
メーカー側も番組を絶賛したというが、真偽のほどは不明である。
タレントの過酷さ
この一件で得たのは、「見るとやるとでは大違い」という気づきだった。
ためしに1分を計って、しゃべってみてほしい。たった1分でもすごい文字量である。
これを15分ぶん、あるいはそれ以上を覚えて、カメラの前でしゃべると想像してみてほしい。まず「無理」だとおもう。
自分がミスをすれば、その場の全員に迷惑をかける。これはたいへんなプレッシャーである。
きれいだとかかっこいいだとかの前に、根性と図太い神経がなければ、とてもつとまる職業ではない。
タレントを批判するのはかんたんだ。
だけど、台本を渡されて、カメラの前に立たされたとき、タレント以上のパフォーマンスを発揮できる素人が、どのくらいいるだろう。
見るとやるとではまったく違う。
目が笑っていないひとたちの前で、ミスのできないプレッシャーにおしつぶされながら、苛烈な生き残りをかけて戦っているのが、タレントという職業なのだと知った。
今後の人生で、同じ状況に追い込まれることはないだろうけど、もう二度とごめんこうむりたいと思います。