君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

ちっぽけなアイデンティティとか

先日書いた、はてな今週のお題「日記の書き方」のエントリについて、xuraさん (@xura) より意見をいただきました。

xura.hatenablog.com

ありがとうございます。
いただいた意見をふまえて、あらためて考え直してみました。


前回のエントリで、そもそも「日記とは」の前提が抜けてましたですね。

わたしの考える「日記」とは、以下2点を満たすものです。

  1. その日の出来事を要約したもの
  2. 読み返しが前提のもの

で、じっさい書いている雑記ノートはというと、このどちらにも当てはまらずで。

あらゆる不安をずらずら書きだす。読み返さない。

とても日記とは呼べないな。呼びたくないな。そう思っていました。


だけど、xuraさんのご友人がおっしゃるとおり、日記をもっと広義にとらえても、よかったのかも。

たとえば、今日の空を一枚撮るだけでも、それが日記と言えなくもない。あるいはTwitterのつぶやきだって。当人がどうとらえるかの問題、なんですよね。

なんというか、なにをもってロックとするのか、みたいな。本人たちがロックだといえばそれはロックだ、というような。

写真も日記と言えなくもない

 

「日記」は遠い存在でした。

過去に日記を書けなかった、続けられなかったコンプレックスがあるから。
できるなら、日記を書いてコンプレックスを払拭したいとも、思います (日記を書くために5時起きしてるんだ、わたし)。

一方で、いま取り組んでいることがもし日記だとしたら、がっかりするのも、たしかで (日記を書くために5時起きしてるんだ、わたし)。

がっかりするのはなぜ、どうしてと考えてみれば、雑記ノートというかたちでもって続けられていることに、ちっちゃいけれどもアイデンティティを感じているからで。

つまりアイデンティティを守るために、日記を遠い存在にしておきたい。「じゃないほう」でいたい。そんな気持ちが、無意識にはたらいていたのだと思います。

器のちっちゃさに、びっくり。情けなくて、泣き笑いです。
ほんとうはどっちだって、かまわないのに。

まさかそんなちっぽけなところに「自分らしさ」らしきものをかけていたなんて。

 

結論はぽんと出せなかったけど、考えを一段、深められました。

xuraさん、ありがとうございます。
(そして800記事達成、おめでとうございますー!)

 

 

[2022.12.17 追記]

xuraさんからご返信をいただきました。

それも日記だと思うよ - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

決して、ちっぽけなアイデンティティなんかじゃない。
あなたは立派に「あなたらしさ」を遂行している。それは誇りに思っていい。

ぼろ泣き。ちょっと弱気になっていたので、よけいに。

優しい言葉をかけてくださり、ありがとうございます。