君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

スマホを持たないことで

スマホが会社から支給された。

ついに、というか。いまさら、というか。

これが、人生初スマホになった。

「え、宗教の関係かなにかで?」
会社のクレジットカードを紐づけるから、と手持ちの機種を訊かれ、スマホは持ってない、と答えたわたしに、社長が半笑いでそう言ったのだった。

素直に「必要ないんで」と答えるわけにはいかない。なにしろWeb屋として飯を食っている。それでもプロかよ、と逆の立場だったら思う。だから前職の制作会社でだって、スマホの非所持はひた隠しにしていた。

「お金が、なくて」ちょっと言いにくそうなそぶりを装って、答えた。ガラケーは月に1000円もかからないんです。それで、なんとなく。

社長は腕を組み、首を傾げて画面越しにわたしを見た。感心したとも、あきれたともつかない表情だった。

「そっか、ふーん。しかしスマホを持ってないとはねえ」
ちょっと困ったな、とつぶやく社長に、わたしはしおらしく謝った。この件で評価が目減りすると思うと気が重くなったけれど、それでもスマホに替えるつもりはまったくなかった。

「了解。じゃあ適当に見繕って支給するよ。iPhoneじゃないとイヤとか、こだわりある?」
ない、とわたしは答えた。本心ではiPhone、でも入社前の身でわがままを言えるはずもなく、よぶんな経費を使わせるのも申しわけなかった。

もやもやがやってきたのは、オンラインミーティングを退出したあとだった。スマホ支給が決まったとき、メンバーとして認めてもらえた喜びと、望まないものを押しつけられる重苦しさを同時に感じたのだったけれど、時間が経つごとに嫌悪だけがいや増した。

たかがスマホ。どうして、そう思えないんだろう。


はじめてのスマホを手にとり、重、とわたしはつぶやいた。

うすっぺらに見えて、あんがい身がつまっている、感じ。
ものの形状として心もとない。落とすのを前提につくられたみたい。いやにつるつるだし。

あれこれの設定は、すでに済まされていた。そうはいっても何かしないと、という気持ちになる。待受けにイケメンの画像でも、と検索してみたら、文字がびっくりするくらい打ちにくかった。

何度打っても、打ちまちがえる。削除し、打ち直し、さらにまちがえる。いらいらする。窓から投げすててやろうかと思う。

30分もかけてイケメンを待受け画面に設定したら、やることがなくなった。

受け取ったはいいけれど。受け取るしか、なかったのだけど。

わきのボタンを押してイケメンを眺める以外に、使いみちがない。黒くて四角い物体が視界に入るたび、なんともいえずいやな気持ちになる。

そういえば、両親がスマホ化したのは半年前のことだった。母がPayPayで支払いをすませているのを見て、わたしは腰を抜かした。
わたし以外の親類は、みなラインでつながっていた。ついこの前まで、PayPayもラインも知らなかった面々が、あっさりスマホを使いこなしている。
スマホ、便利よ。ナオちゃんも替えたら?」と言って、母はにっこり笑った。

好奇心が、ないのだろうか。

せめて10年前だったら、スマホ支給に舞い上がり、あれこれアプリを入れては飽きるまで試したろう。

スマホを手にしても、心が弾まない。未知なる端末を手に入れたというのに、むしろいらだちを感じる。

なんで。

もしかすると、スマホ不要派であることに、アイデンティティを確立させていたのかもしれない。たとえば「多でない」といったような。

「多でない」は青年期の最重要項目で、何はなくともニッチニッチに、と生きていた。とはいえ、さすがにそんなのを引きずっているとは思いたくない。

ではなぜ、スマホの非所持を自分から言いだせなかったのか。

ラインを聞かれたときにだけ、「実はね」とこっそりガラケーを見せた。塗装がはがれ落ち、中央のエンターボタンが壊れている、ゴミのような何か。
相手はびっくりし、困惑し、タチバナさんらしいね、と笑った。たぶん胸中で、知人のリストから削除しつつ。



スマホを手にとり、わきのボタンを押す。イケメンが、高品質でクリアな微笑みをうかべる。

スマホを持たないことで、なにかから一定の距離をとっておきたかったのかもしれない。なにかにつけ、依存的になるのを知っているから。

その意味では、好奇心ありあり、でなく、救いがたいほど頑固な性格で良かったのだと思う。たぶん。