君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

田舎に帰りたい

フルリモート環境をいかして、ひと夏を田舎で過ごしてまいりました。

とくべつなことは何もできなかったけど、静かで、満ち足りた日々でした。

ある日、仕事おわりに海をぼおおおっと眺めているうち、はっと気づいちゃったんです。「わたしのほしいもの、全部ここにあるじゃん」って。

海。山。田んぼ。まっすぐの道。ひろい空。新鮮な魚に野菜。清潔な図書館。なにがないの逆にってくらい、全部ある。18のとき、田舎の「なにもなさ」に絶望してさっさと上京したくせに。

全部あると感じたきっかけは海と、それから季節の移りかわりでした。

朝にジョギングなんかしていると、「えっ」と声が出てしまうくらいダイレクトに、季節の移りかわりを肌で感じて。

7月の終わりごろは、たしかにセミのフェス状態だった。それが8月19日の朝にぴたっと消えて、かわりにコオロギが一斉に鳴きだしたのには驚きました。

こんな唐突に夏は終わってしまうんだという衝撃。夏の終わりを五感のすべてで受けとめてしまった衝撃。感受性、おまえはすでに死んでいるんじゃなかったのかという衝撃。

あおあおとした稲の葉から頭を出している穂に気づいたらもうだめで、走りながらひいひいと泣いてしまいました。

なにもかもがカラフルでビビッドで、なにを見ても聞いても「ここに全部あるじゃん」って笑っちゃうような夏を過ごすと、どうして都会に戻らなくてはならないのか、さっぱりわからなくなります。

都会でせせこましく暮らしているから田舎での生活が美しく、うらやましく見えているだけ、どこへ行っても人生はしんどいのだタワケモノ、そうわかってはいるんだけど。

それでも、少なくとも今よりは幸せになれるはず、「楽しい」の分量がきっと「しんどい」を上回るはず、という仮説があるから人は他の場所に憧れるのだし、夢を見る。ライブなんかもう一生行けなくていいから、とか言って。


ひと夏のあいだに、バタフライが少し泳げるようになりました。

隣のレーンでぐいぐい泳ぐ人のフォームを、水中に潜ってこっそり研究するという地道な努力が実を結んだのだと思います。

だけど気軽に通えるプールがこっちにはないから、スイミング通いももうおしまい。

夏といっしょに、なにもかもがもうおしまい。