最終出社日の翌日、まるで逃げるようにして帰省した。
最終日にもらった花束は機内へ持ちこみ、一緒に帰省した。
もし置き去りにでもしたら、2週間後に無残な姿を見ることになる。そんなひどい仕打ちはとてもできなかった。
家で待っていた母に花束を見せたら、わざわざ持ってきたん? と聞かれた。
転職祝いだと説明すると、母はにこにこ顔で、へえ、そうなん、と言った。
娘の転職をいちいち覚えている、なんて期待はしてなかったけど、ここ数ヶ月の悩みや決断がちっぽけなことに思える、母の気楽さだった。
なにかをしたかったのに、なにもできない
実家で過ごした2週間は、あまりぱっとしなかった。
朝はコメダ珈琲でモーニングを食べ、コーヒーを飲みながら雑記を書き、書くのに飽きたら隣のテーブルの会話を盗みぎきした (書きとめた)。
日中は座敷に寝ころんで図書館の本を読み、疲れたら長い昼寝をした。
気が向いたら森林公園へ車を走らせて、芝生の上で本を読んだ (まぶしくて読めなかった)。
あるときプールで泳ごうと思いたち、水着を求めてスポーツショップへ行った。値札を見て気力が萎え、なかったことにした (お高いんですね、水着って)。
持ち帰ったランニングシューズは、いちどもスーツケースから出さなかった。だれが走るもんかという、謎に強い気持ちがあった (あった)。
唯一のたのしみは夕食だった。
毎夕、母は「帰省初日」みたいな手料理をふるまってくれた。
母の手料理、お刺身やお寿司 (海の近くだから魚がおいしいのです) をむさぼるように食べ、持ち帰ったワインを飲みつつ録画のF1を見ていると、これまでの日常が、日ごと遠くなっていくのを感じた。
わたし、なんで上京なんかしたんだっけ。
ワインをちびちび飲みながら考える。考えてもしょうがないことばかりを考えるのは、たぶん、ばかみたいにひまだからだ。
ひまをもてあましている、そう言ってみたかったのに、いざもてあますと、ひたすらむなしかった。
なにかをしたかったのに、なにもできない。時間はどんどん過ぎていく。
これでいいんだろうか。わたしの選択はほんとうに、間違ってないんだろうか?
自転車に乗って海へ
ある晴れた朝、自転車で海へ行ってみることにした。
時間はたっぷりとあったし、なにより深刻な運動不足におちいっていた。
車で5分もかからない道を、自転車でゆく。高校を卒業して以来の、それはチャリ移動だった。
まじめに考えてみたら、そうとう、おかしい。わたしは自分のためにちょっと笑った。知り合いに見つからないことを祈りつつ、10分かけてチャリをこいだ。
額と背中にうっすらと汗をかく。5月初旬の風はすこし冷たくて、気持ちよかった。
地元の海をみるといつも、わたしに足りないのは海だと感じる。
海の近くで暮らせたらいいのに。ここに帰ってこられたらいいのに。なんて。
ごつごつした岩にすわって、インスタントコーヒーをつくる。会社でくばったヨックモックの余りをごそごそと取りだす。
初夏みたいなきつい日差しに、きらきらひかる波間。ときおり、魚がぴょいと飛びはねる。
いろいろと考える。ヨックモックのクッキーをかじり、コーヒーを飲みながら、確実なことと、不確実なことについて考える。
突然、だれかとなにかを話したい気持ちになる。でもだれと、なにについて話せばいいのかわからない。
風が吹いている。海はいつでも風が吹いている。いつのまにか、体がしんから冷えきっていた。
またチャリを10分こいで家に戻り、毛布にくるまって目を閉じた。毛布の中は、昔むかしにかいだ匂いがした。
許しても、許さなくても
目が覚めると、お昼はとうに過ぎていた。
だれもいない居間にすわり、ぼんやりとテーブルの上の花を見る。花たちはまだ、あおあおと咲いている。
きょうはなにをしよう。
なにかをしているようで、なにもしていない。そんな日々を、いまの自分を、わたしはきっと許さなくちゃいけない。
許しても許さなくても、どうせ時間は、どんどん過ぎていくんだから。