なぜ、彼でなければならないんだろう。
半年ほど前、あるK-POPグループのひとりに目を奪われてから、ときどき考える。
夫には「よくいるK-POP顔」といわれる。
そしてブログに画像を貼っつけでもした日には、こういわれちゃうだろう。
「ああ、K-POPにいそう、こういう顔」
わかってる。すべてのひとの性癖に刺さるわけじゃない。
それでもわたしの目には、彼以外、みんな背景にみえる。
彼のなにがわたしの狭き性癖を刺したのか、考えるほどにわからなくなるのでございます。
それでも愛し続けられますか
彼は壮絶な美をそなえている。
他メンバーから「ひとりだけ絵のよう」と評されるほどの美貌で、最新MVなんか "ひとりファイナル・ファンタジー" 状態だ。
と、そんなふうに、イケメンだなんだと浮かれていた。
最初のうちは。
〈お隣の国のイケメン〉。
こう聞いて、セットで思いうかべる単語はないですか。どうですか。
ご存知のとおり、かの国の整形率は……それはもう、ええ。
K-POPグループにツバをつけるなら、少々の整形は見逃さなくてはならない。
好きなひとの顔が、ある日とつぜん変わるなんてのは、珍しくもなんともない世界だから。
もちろん、信じたい、本心では。
整形まみれのK-POPにあって、わがイケメンこそはナチュラルボーンだと。
でも、そう信じておいて、実はごりごりの整形でした、というのがいちばんきつい。
傷つきたくないわたしは「科学の力で彼は生まれ変わったんだ、そうに違いない」と考えるようになった。
だって、生身の人間がこれほどの美をそなえられるわけ、ないんだもの。
でも、と思う。
彼の美が科学の結晶だとしたら、わたしは、あっさりと引いて、裏切られたとでもいうんだろうか。
美とは、イケメンとは、好きとはいったいなんだろう。
世界じゅうのひとに、わたしは問いたい。
あなたの好きなひとが、もしも整形だったとしたら、それでも好きでいられますか?
もしも明日、整形しちゃったら? それでも愛し続けられる?……
ええい整形でもなんでもええわと思いこもうとした矢先の、それは発見だった。
雑誌のグラビアを焦げつくほど見つめた結果、たいへんなことに気づいた。
彼の顔が、あきらかに「非対称」だったのである。
手持ちの写真をチェックする。どうして気づかなかったんだろう。右と左で、顔が微妙に違う。
もし彼が「ビフォー・アフター」だったら、顔の非対称も、少々低めの鼻も、まっさきに整備しているはず。
つまりこれは、かなり高い確率でナチュラルボーンといっていいんじゃないか。
それって、奇跡といってもいい、気がする。
整形大国に身をおきながら、生まれたままの素顔を維持していること。
非対称の顔を、鏡を見るたびに彼が受け入れ続けていること。
心が明るむ思いで、非対称の顔をまじまじと見た。
空回って、どん滑る
イケメンだから。
それだけの理由で惹かれてるのかというと、やっぱり違う。
目が離せない、もうひとつの大きな理由は、彼の「不器用さ」にある。
アイドルとしては困ったことに、どうにもバラエティ向きではない。
きまじめというか、いまひとつ面白みに欠けるところがある。
司会をやらせれば、台本からいっさい顔を上げない。そうかと思えば、前ぶれなく全力で笑いをとりに行き事故をおこす。
どん滑りするイケメンほど痛々しいものはない。胃が痛くなるからやめてほしいけど、グループの中で微妙に空回るのはたぶん、彼の宿命なんだと思う。
それから、彼はたいてい、グループの中心から外れている。
おふざけメンバーで盛り上がっているときには、円の端で笑っている。
グループの中心で笑っているのを見たことがない。いつも、端にいる。
端にいては映らない。笑顔のまま一歩、体を寄せる場面もある。
そんなとき、わたしは見てはいけないものを見てしまった気がして、胸がギュッとなる。
練習のしすぎで体を壊した過去もある。インタビューではときに、痛々しい回答をしてしまう。
ひとことでいうと、とんでもなく不器用なのだ。
でも、だから惹かれてしまう。
相手の不器用さを知るたびに気持ちが積み上がるのは、わたしが女だからなのか、年齢のせいなのか、わからないのだけど。
あばたは花びら
彼の顔には、目立つあばたがある。
わたしはこのあばたが好きだ。
なぜならそれこそが非整形を証明するものであり、どうかするとCGに見える彼の、もっとも人間らしいオプションだから。
メイクで完璧に隠しているところをみると、コンプレックスのひとつ、なのだと思う。
ところが先日、あばたを強調するメイクで彼は登場した。
大粒のラメでふちどられたそれは、魔法にかけられた花みたいにうつくしかった。
彼はうつくしい。
あばたさえ、彼から離れがたい花びらにみえる。
そのままでいてほしい。非対称も、あばたも、美を阻害する悪しきものだなんて、そんなメッセージを発してほしくない。
空回っても、どん滑っても、だからこその自分だと、そう表現し続けてほしい、ひとりのアーティストとして。
彼以外、みんな背景だ。彼にしかピントがあわない。
世界のすべての美が、イデアが、その体に流れこんで彼を輝かせているかのようにみえる。
どうして彼でなくてはならないのか、考えるほどにわからない。あとづけ的にいろいろこねくりまわしたところで、なんにもわからない。
わかりたくない、今はまだ。
ただ、うつくしい彼を、うつくしい心もちのまま眺めていたい。
遠くのシリウスを眺めるように。
それ以外、なにも望みたくない。
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