このたび、大ちゃんが琢磨ファンだったという衝撃的な情報を教えていただいた。
これはもう、出戻り後いちばんの衝撃といっていい。
琢磨ファンという意味では、私もちょっとしたものだ。
なぜなら彼を愛するあまり会社を辞め、彼のチームをサポートする側へダイブしたからだ (面接で「あなたにとってF1とは何か」と聞かれ、真顔で「私にとってのエンジンです」と答えた)。
大ちゃんが琢磨ファンと聞いたら、とてもだまってはいられない。
というわけで、F1トーク第2弾「ばったり大ちゃんと会った場合、どんな琢磨トークをすれば盛り上がれるのか」を考案した。
なお書いたのは、当時すべてのモータースポーツ雑誌を定期購読していたモータースポーツ狂いである。
熱が込もり少々口がわるい場面もあるが、どうか聞き流していただきたい。
◇前提
大ちゃんは説明好きである。
『accessのオールナイトニッポン動画』で、とくに聞かれてもいない天体話をえんえんと語っていたのにはおどろいた。
そういえば昔の雑誌でも、アルバムのコンセプトなんかをわりに長々と語っていたように記憶している。
自分に起こった感動を、伝えずにはいられないのだろう。とくに自分の守備範囲のものごとについては、相手が専門家でもないかぎり自分の口で語らないではいられない。マウントなどもってのほかである。間違っても琢磨とツーショットを撮った、なんて言ってはいけない。
ポイントは、いかに大ちゃんに語らせるかだ。いいトスをあげれば、彼はきっと打ってくれる。
そのためにも「琢磨のレースをYoutubeで見ました」前提でのぞみたい。
1. 2004年のアメリカグランp
琢磨を語るうえで、何よりもまず覚えておきたいのは「2004年のアメリカグランプリ」というワードだ。
彼はこのレースで、日本人ドライバー14年ぶりとなる表彰台を獲得した。
決してラッキーで獲得したわけではない。不運に見舞われてもあきらめずにアタックし続け、次々にオーバーテイクしまくった。インディアナポリスは簡単に抜けるサーキットではない。加えてホンダのパワーは他チームと比較して小さかった。果敢に攻め続け、彼自身の手で掴み取った表彰台なのだ。
もちろん、セーフティカーが出たとき、真っ先に給油していれば優勝間違いなしだった。その点はほんとうに悔しい。
でもそのかわりに、琢磨の鬼神のような走りを我々は目撃できた。歴史の生き証人である。
画面越しに気迫が伝わる、観るものの胸を熱くする走りだ。ぜひともフルレースを観てもらいたい (私は100回観た)。
「2004年のアメリカグランp……」と言いかけただけで、きっと大ちゃんは食い気味に全部喋ってくれるはずだ。
この!!!音!!!!
ぜひきいてください!!!!!!!
今のF1とはぜんぜんちがう。しびれる……!!!!!!
2.「鈴鹿スペシャル」って何ですか?
2004年の日本GP。先のアメリカGPの活躍もあり、琢磨は日本中の期待を一身に背負っていた。もはや表彰台以外許されない状況だった。
このときの彼のプレッシャーは、とても想像に及ばない。
4位からのスタート後、序盤でチームメイトのバトンに道を塞がれた。バトンと琢磨は作戦が違う。この場合、燃料を積んで重い車体のバトンは、軽い琢磨に譲らなくてはならない。でもバトンは譲らなかった。あいつマジでタイヤ外れちゃえばよかったのに。
おかげで、バトンより一回給油の多い琢磨は割を食うはめになった。
結果は4位。十分すぎる結果なのに、なんか「残念」みたいな雰囲気になった。バトンにも腹が立つけど、ふだん琢磨を応援してないやつが訳知り顔でつべこべ抜かしやがる方がよっぽど腹が立つ。
というわけで「2004年の日本グランプリ」はNGワードだ。
しかし私の記憶では、マシンには特別仕様のエンジン、通称「鈴鹿スペシャル」が搭載されていた。
大ちゃんはエンジンなんかも好きそうである。
「『鈴鹿スペシャル』って何ですか?」ときいたら、5分くらいは喋ってくれるだろう。
しかし思わぬ伏兵で、タイヤ戦争の話にも火がつくかもしれない。これに火がつくと長くなるため注意されたい。
3. スーパーアグr
2005年のサンマリノGP (納得のいかない失格処分、2戦出場停止の重責ペナルティ) を例にあげるまでもなく、ホンダBARはあからさまにいじめのような扱いを受けていた。なぜか。日本のメーカーだったからだ。
だからホンダBAR時代の話は、その功績よりも自然と「悔しさ」が先に立つ。ぜったいに、もっと勝てていた。
琢磨の書籍である「GO FOR IT!」をいちど読んでみてほしい。彼はたんたんと事実をつづっているけれど、当時ファンは悔しくて悔しくて、泣けてしかたなかった。
かように、ホンダBAR時代は琢磨ファンの「悔しさセンサー」を刺激する。
そのため彼の次なるブレイブストーリー、『スーパーアグリ』に話を持っていこう。
* * *
2007年オーストラリアGP、奇跡が起こった。
ホンダBARから、琢磨はスーパーアグリF1チームに移籍していた。
はっきりいって格下のマシンだった。上位チームとは原チャリと電動チャリくらい違う。どの角度から見ても、F1で戦えるようなマシンではなかった。
そんな状態で、琢磨は予選のQ3を突破した。つまり上位10台に食い込んだのである。信じられない快挙だ。
戦えるマシンでないことはF1ファンなら誰もが知っていた。感動のあまり、テレビの前で号泣したファンも多いだろう。2004年のアメリカGPも感動したけど、それを上回る感動だった。
2007年はポイントも獲得し、世界中のF1ファンにおどろきと感動を与えた。
カネがものを言うF1という世界で、日本の小さなプライベートチームが果敢に挑戦したのだ。F1ファンの胸を打たないはずがない。
そんなわけで「スーパーアグr」あたりで大ちゃんは即反応してくれるだろう。
4. 一言でいうと、琢磨はどんなドライバーですか?
自分で言っておいて、これはなかなかいい質問である。
琢磨は「絶対にあきらめない」ドライバーだ。
どんなに不運に見舞われても、どんなに理不尽なペナルティを食らっても、マシンが真っすぐにさえ走らなくても、彼はぜったいにあきらめなかった。不屈の闘志。これこそが佐藤琢磨というドライバーだ。
彼はいつもファンの胸を熱くする。ファンは彼の魂の走りに魅了され、応援せずにはいられなくなるのだ。
大ちゃんが何と答えるか、とても興味深い。
◇大ちゃんと琢磨は少し似ている
そういえば、大ちゃんと琢磨は少し似ている。
ふだんはとても理性的で、感情的にものを言わない。
相手に対して攻撃的な態度をとらず、いつだってオープンマインド。
誰に対しても常に同じ態度で、その場の雰囲気を明るくする。
自分をひけらかすわけでもなく、でも「これは」という部分については譲らない。
戦闘モードに入ったとたん、アグレッシブなパフォーマンスを見せてくれる。
そしてどんなに有名になっても、彼の本質はまったく変わらない。
以上は琢磨のことを書いたけれど、大ちゃんに共通する点が多いように思う。
* * *
大ちゃんが琢磨ファンと知り、私はとてもうれしい。
大好きなひとが、別カテゴリの大好きなひとを好きだと言うのだ。うれしくないわけがない。もうちびりそうである。
できることなら、彼が琢磨について語っている姿を拝見し、赤べこみたいにうんうんと頷きたかった。
いつかまた、そんな日がくるといいな。そう思わずにはいられない。
* * *
ところで琢磨は今年、インディ500で2度目の優勝を果たした。
F1やインディでの優勝は、ワールドカップの優勝に匹敵する。まさに歴史的快挙だ。
「No attack, No chance」。琢磨はこの言葉を生涯貫くだろう。
彼の挑戦は、今も続いている。
An amazing day at #Indy500 and amazing my #30 @panasonic @_PeopleReady @HondaRacing_HPD boys!!
— Takuma Sato (@TakumaSatoRacer) August 24, 2020
I can’t thank enough for entire @RLLracing and everyone’s support. Thank you soooooo much!!!!!
みなさん、たくさんの応援を本当にありがとうございました。 pic.twitter.com/7pS8D9ukZT
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