ことしの汚れ、ことしにうちに。
じゃないけど、ことし考えたことはなるべく出し切りたい、そう考えて毎日更新をしばらくつづけてきました。
でも、だめでした。出し切れるわけ、なかった。
考えや思いは、あらわれては消え・消えてはあらわれるものですね、なあんてごく当たり前のことに気づいただけだった。
そんな当たり前にも、じっさいに手を動かしてみないとうまく納得できないたちだから、それはそれでよかったんだろうと思います。たぶん。
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ブログについてだけふりかえってみると、ことしは160のエントリを書きました。
来年はペースを落とすつもりです。
わたしは熱中すると、それ以外のことがまったく目に入らなくなる性分です。
ブログを書くのが楽しくて、それ以外のこと、本を読んだり友だちに手紙を書いたりする時間をあっさり削りとってしまう。さすがに、ちょっとバランスが悪いなと。
ブログを書くのはすごく楽しい。わたしのライフワークです。でも、このままじゃどんどんバランスが悪くなる気がして。
だから、意識的にペースを落として、立て直したい。わたしなりのペースをつかみたい。
これまで後回しにしてきたことを、ちゃんと優先したうえで、ブログとつきあっていきたいと考えています。
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ことしもたくさんのブログを読ませていただきました。
なんというか、ただ共感するだけで気がすむってこと、あるなって。
日本のどこかにいる知らないひと、これからもたぶん出会うことのないひとがひとりで書いたものを読んで、共感する。それだけで、気がすむ瞬間があると思って。
書いてあることとは価値観がちがっても、でも、「わかる」。
思うに、ほんとうに「わかる」に行きつくのに、ある程度の文書量は必要で、それはSNSの枠じゃ足らないんです。
いや、そんなことはない、140字でじゅうぶん伝わる。それはおまえが前時代的だからだと言われれば、そのとおりですと答えるしかありません。
ただ、ある一定の文章量があるからこそおびる熱があると思うのです。
もちろん、長けりゃいいってもんじゃないし、俳句や短歌を例にあげるまでもなく短いからこそ伝わるものもある。
それはそれとしてブログは、書いているうちに、あれよあれよと「思ってたんとちがう」ふうになって、そこから生じる予想とのギャップが、熱を発するんじゃないか。
で、その熱が「わかる」を生みだす。読むだけで、気がすむ。ほんのちょっと、らくになる。そんなふうな効能がブログにはあるんだと、感じた一年でした。
思わず吹きだしたり、しんみりしたり、胸がぎゅっとなったり。
みなさま、すてきなブログをありがとうございました。
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日ごろブログ読んでくださり、スターをつけてくださるみなさまには心より感謝いたします。
熱しやすく冷めやすいわたしがブログを続けられているのも、おひとりおひとりのリアクションがあるからです。
ほんとうにありがとうございます。
どなたさまも、どうぞよいお年をお迎えください。
※ 新年はしばらくおやすみします(デジタルデトックスのため)。