君は世界に一人だけ

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感じたことと考えたこと

一杯のおいしい紅茶

紅茶好きを自称するひとなら、一杯の紅茶をいれるのにぜったいのルールを持っているはず。

わたしも、こと紅茶にかんしては黙っていられません。

譲れないルールが7、8個あり、それが守れない環境でなければ、紅茶はいれない。完璧にいれようとしなければ、気分がぱっと明るむ「おいしい一杯」にはならないから。

こだわりは強いほうだと思っていたのだけど、当然ながら、上には上がいました。

ジョージ・オーウェル著『一杯のおいしい紅茶』(1946年) によると、ぜったいに譲れないルールが少なくとも11はあるといいます。

オーウェル流・紅茶の極意は以下のとおり。

  1. インド産かセイロン産の葉を使用する
  2. 一度に大量にいれてはいけない(=ポットでいれる)
  3. ポットはあらかじめ温めておく
  4. 濃いことが肝心
  5. 葉はじかにポットにいれる
  6. ポットを薬缶のそばに持っていく
  7. 紅茶ができたあと、かきまわして葉が底におちつくまで待つ
  8. 円筒形のティーカップを使う
  9. ミルクから乳脂分をとりのぞく
  10. 紅茶から注げ
  11. 砂糖をいれてはいけない

大部分は文句なしに賛同できます。一方で、それはちょっと違うんじゃない、と感じる項目も。

なので、大作家先生のルールと、わたしの個人的なルールと照らしあわせてみました。

オーウェル先生も「すくなくとも四点は激論の種になるだろう」とみとめておられることだし。

1. インド産かセイロン産の葉を使用する

まったくそのとおり。

このごろは国産の茶葉もおいしくなってきたけれど、やっぱり本場インドおよびスリランカの香り高さには及ばない。

オーウェル先生もここは強調しています。

「『一杯のおいしい紅茶』というあの心安らぐ言葉を口にするとき、だれもが考えているのは例外なくインド産の紅茶なのである」

2. 一度に大量にいれてはいけない(=ポットでいれる)

えっそうなの、と焦ったけれど、ポットでいれる程度の量は「大量」にはあたらないとのこと。

ならば1940年代にはどのくらいの量をいちどにいれていたんだろう。まさか何リットルも?

3. ポットはあらかじめ温めておく

わたしもかたくなに守りつづけていたのですが、「ポットを温めるのは冬だけでよいですよ」と紅茶教室で教わって以降、温めるのはやめました。

とくに夏は、ポットの温度がなかなか下がらず、いつまでも熱々で飲めませんから。

4. 濃いことが肝心

湯量1リットル強の場合、「茶さじ大盛り六杯が適量」とのこと。

茶さじの大盛りが3.5g程度と仮定して、21g。現代は1リットルに20g前後だから、ほぼ同じですね。

だけど、1949年当時は配給時代。茶葉でさえ配給という時代に、それでも濃い紅茶をいれていたというのが、衝撃。

「一杯の濃い紅茶は二十杯のうすい紅茶にまさるというのが、わたしの持論である」

ぐっとくる一文。紅茶好きたるもの、かくあるべし。

5. 葉はじかにポットにいれる

まったく当然のことであります。

6. ポットを薬缶のそばに持っていく

沸かしたてのお湯をいきおいよく注ぐ、のは定説だけれど、「お湯は葉にぶつかる、まさにその瞬間にも沸騰していなければだめ」とのこと。

この項目だけは変態じみているといってもさしつかえないと思う。

7. 紅茶ができたあと、かきまわして葉が底におちつくまで待つ

抽出完了後にかきまわすのは、通常の手順。

だけど葉が底に落ちるまで待っていたら、かなり濃くなるし、渋すぎて顔がゆがみそう。

こんど、やってみます。

8. 円筒形のティーカップを使う

かならず冷めてしまうから、というのがその理由。

先生は一貫して熱々へのこだわりが並外れています。

9. ミルクから乳脂分をとりのぞく

「乳脂が多すぎると紅茶はきまってむかつくような味になる」のだそう。

むしろ乳脂分が多いほどおいしいミルクティーになる、と思いこんでました。

ちなみにミルクはぜったい温めないようにしてくださいね。温めると、ちちくささが全面に出て、きまってむかつくような味になります。

10. 紅茶から注げ

11項目中、これだけは同意できかねます。

「ミルクが先か、紅茶が先か」問題はイギリス国内でも意見が二分しています。わたしは圧倒的にミルクが先派。

ミルクをあとに入れる理由として、先生は「ついミルクを入れすぎるではないか」とおっしゃる。そんなわけはありません。紅茶好きなら、カップにどのくらいミルクをいれるべきか完璧に把握しているはずで、入れすぎるなどという事態におちいるはずがないから。

「ミルクが先かあとか」問題は根がふかいため、このへんで。

11. 砂糖をいれてはいけない

「紅茶はビール同様、苦いものときまっているのだ。それを甘くしてしまったら、もう紅茶を味わっているのではなく、砂糖を味わっているにすぎない。いっそ白湯に砂糖をとかして飲めばいいのである」

完全に先生のおっしゃるとおりであります。

「一杯のおいしい紅茶」について

「一杯のおいしい紅茶」は、「1984年」「動物農場」の著者、ジョージ・オーウェルによるライフスタイルにまつわるエッセイ集。冬の夜に、くつろいで読むのにぴったりな一冊です。

食器洗いの無意味さにぶつくさ言ってみたり、イギリス国民の本離れをなげいたり、暖炉の火を懐かしんだり。ユーモアたっぷりのエッセイに、読みながら何度もくすくす笑ってしまいました。

自分なりのルールや価値観はかんたんに見失いがちで、わざわざ書くでもしないとあっさり忘れてしまいます。オーウェル先生の、異論は認めないといった偏狭さがおかしくも、はっとさせられました。

心に残ったのは、「クリスマスの食事」から、禁酒主義者にたいする痛烈な反論。

とんでもない話である。自分のやっていることくらい百も承知で、すこしは肝臓を傷めても、たまには羽目をはずすほうが断じていいのだ。大事なのは健康だけではない。人といっしょに飲んだり食ったりすることで得られる友情、好意、そして精神が高揚し、物の考え方が変わることも、同じように大事なのだ。

年末にこの本を読めてよかった。

お正月くらい、羽目、はずしちゃいましょう。