君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

泳ぎたいのは

仕事終わりに車をとばして、プールへ行った。

とかいうと慣れてるみたいだけど、じつは初めて。
帰省するたび、近くのプールへ「行ってみたいな」と思いながら、そう思ったことすら忘れるというパターンを何年もくり返して、ようやく足を踏み入れたのだった。


プールへ通じる引き戸を開けて、ぽかんとする。立派というか、国際大会でも開催するのかレベルの、ほとんど場違いみたいなスケールだった。

人っ子ひとりいない、だたっぴろいプールに身がすくむ。なんだかSFの世界みたい。

シャワーをこそこそ浴びて、静かなプールにそっと入る。塩素のなつかしい匂いを吸いこむと、切なさがじわっとわきあがってくる。


子ども時代、泳ぎを6年間習わされた。車とフェリーが主な交通手段だった当時、「沈没に備えて」スイミングに通わされた子どもはけっこういたように思う。

泳ぐのは好きじゃなかった。というか、厳しい練習と口うるさいコーチが嫌いだった。選手強化コースに入れらてからは、ますます泳ぐのが嫌いになった。どんなに必死に泳いでも、タイムはちっとも伸びない。プールへは自尊心を傷つけられに行くようなものだった。

やがてコーチに見切りをつけられたと認識すると、プールを見るのもいやになった。塩素の匂いをかぐと吐き気をもよおした。

ある日、いつもどおりプールへ着くなり、ほとんど無意識に受付へ向かった。これ以上は耐えられない、そう感じた最初の記憶。


泳ぎを習っていてよかったと思うのは、むしろ大人になってからだった。速くは泳げなくても、フォームは忘れない。
よくがんばったなあ。いまなら100パーセントそう思えるんだけど。


でも。
バタフライが、泳げなくなってる。
昔は得意がってざっぱざっぱ泳いでいたのに。ぜんぜん、泳げない。泳ぐというより、溺れかけてる人みたい。

プールには人がちらほら入りはじめている。泳げないバタフライを人前でばっちゃんばっちゃんやるって、相当、はずかしい。

なんだかブログみたい (なんでもかんでもブログに結びつけるのはわたしのくせであります)。

ばっちゃんばっちゃんやって、泳いでるつもりが溺れかけてるようにも見えて、恥をかいて。

それでも泳ぎたいんだよなあ、バタフライ。