君は世界に一人だけ

君は世界に一人だけ

感じたことと考えたこと

反芻動物 in ライブ

ライブに、行った。

わたしごときが、おそれおおくも、関係者席で拝観した。

だのに、ライブ中、テンションは1ミリも上がらなかった。

たしかに、まわりが気になってしかたなかった。関係者エリアにすわっておられる方々は、微動だにしない。悪目立ちしないよう慎重にふるまわなければ、迷惑になる (ほんとうに)。

テンションが上がらなかったのは、そんな「暗黙の了解」のせいじゃない。問題は、もっと根のふかいところにある。

なにもかもを忘れてひととき夢中になるには、それなりの才能が必要で、わたしにはそれが、ない。

たのしくないわけじゃない。ただ、DVDを観ている気分になる、ライブに行くといつも。

あのときもそうだった。あのときも。最後にライブに夢中になれたのは、はて、いつだったか……

双眼鏡でねっちり見ながらも、自分のにぶさと受け取れなさに、うじうじ胸を痛めていた。ライブは、おそろしいほどにあっけなく終わった。

「ずっと双眼鏡見てたでしょ」深夜、ライブ会場から帰ってきた夫が、わたしのマネをして笑った。

前々から、「ライブを双眼鏡で見るなんて信じられない。絶対やめろよ」と言いつけられていた。彼が正しかったのかもしれない。今となっては、もうわからない。

ともかく、貴重なチケットを用意してくれた夫に、感想をきちんと述べなければならない。適当な言葉が見つからず、言葉が見つからないのにも焦って「想像以上でも、以下でもなかった」と、どうしようもないことを言った。

そう言われるとは思わなかったという顔で、「もう飽きちゃったの?」と彼は言った。

この数ヶ月、神棚のチケットに視線をちらちら送りつつ、今日だけをたのしみに生きてきた。それを知っていて、どうしてそんなふうに言えるのかと思ったけど、黙っていた。

夫は少し考えて、言いにくそうに続けた。「もしかしたら、ナオちゃんはライブに行けないほうが、幸せなのかもね」

 

翌日、「ライブ 楽しめない」「ライブ 冷める」に類似するワードを、半日かけて検索した。

やっと念願のライブに行けたというのに、翌日もうつうつと落ちこんでいた。夫の言葉にも、まじめに傷ついていた。ライブ中にアドレナリンが全開にならないのはわたしだけじゃないと、せめて、知りたかった。

すると、いる、いる。ライブ中に冷めてしまうひとが、あっちにも、こっちにも。

冷める。飽きる。素にもどる。帰る時間、明日の仕事、家族のこと、その他もろもろを考えてゆううつになる。……

ライブ中に冷めてしまうひとの、あらゆる文章を読んだ。それを書いたのは他人で、わたしだった。

だれもが一律に、夢中でいられるわけじゃない。そのじじつに、深く安心し、なぐさめられた。

その一方で、「もしかしたら」とも考える。

夫の言葉どおり、単に飽きちゃったんだろうか。いつのまにか、ライブへ行くことそのものが、目的になって。

自分の気持ちがわからない。自分の気持ちがわからないと、不安になる。

ライブって、なに。好きって、なに。

わからない。ライブの翌日に、どうしてこんなに落ちこまなくちゃいけないのかも。

わたしみたいな人間はライブに行かないほうが幸せ、なんだろうか。そんなわけ、ないとおもいたいけど。



数日経ったころ、ライブの記憶が、断片的に思いだされるようになった。

だけじゃなく、思いだすたびにどぎまぎしてしまう、なぜだか。

ライブを思いだす。一瞬なにも手につかなくなるくらい、胸がときめく。

ああ、行ったんだ、ライブに、とおもう。
「また行きたい」とおもう、性懲りもなく。

もしかしたら、そんなふうでしか、ものごとをうまく飲みこめないのかもしれない。一度飲みこんだ食べものを、何度も咀嚼する反芻動物みたいに。

 

 

 

 

後日、チケットの返礼として、夫のMac Studioを買わされるはめになりました。しめて62万円 (「これでも我慢した」んだそう。ほんとかよ)。

「なんでも買うちゃる買うちゃる」と調子こいたのはわたし、なんですけれど、それにしても。